忘れっちまった青春

(サムネルです。クリックすると大きな画像となります)
昨日の夕方、太陽がとなりの南側の山に沈んだばかりの筑波山を6号国道にかかる「恋瀬橋」から眺めた。
この時間の冬の筑波山は青く独特の色合いをもっている。
「汚れっちまった悲しみに」という中原中也の有名な詩がある。
山を眺めながら何んの気なしに、急に思い出した。
もう忘れっちまった青春が蘇ったのかもしれない。
ちっとも明るい詩ではない。
「汚れっちまった悲しみに・・・」
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
懈怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
この詩をどう解釈するかなどというのはどうでもいいことで、個々の人で各々思うところも違うだろう。
この詩の後に、書かれたという「一つのメルヘン」という詩を対比してみた。
「一つのメルヘン」
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
陽といっても、まるで珪石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
二つの詩は全くテンポの違った詩で、比較するものでもない。

(サムネルです)
上の写真は同じ場所での今朝の姿です。
やはり明るい方がいいですかね。
なんということはないが、少しばかりセンチメンタルになってしまったかもしれない。
でも本当は書くネタがなくなったのでごまかしているのです。
写真が1枚では少し寂しいからね。
北海道や青森では昨日は大雪が降り続き、日本海側でもかなり降っている。
早く雪かきをしないでも暮らせる日がきてほしい。
でも彼岸まであと1ヶ月です。


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