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石岡小学校校歌

 風邪は治ったと思っていたが、どうもぶり返して昨日朝起きたら体温が37度位あった。
そこで会社の隣りにある診療所にいき、薬をもらってきた。
今日は1日休んで家でノンビリと過ごすことにした。
それにしても病院は皆元気のなさそうな年寄りが多い。
知り合いも多くいたが家にゴロゴロしていたらどこも悪くなくても悪くなってしまうかもしれない。
今は熱も下がって大丈夫そうだが「良く休め」といわれているようなものかもしれない。
昔から、夏休みの始まりや終わり頃に学校が休みの時に扁桃腺炎でよく熱を出して休んだことがあった。
大きくなったら扁桃腺炎などはなくなったが、よく過労がたまると熱を出すことがあった。
身体の安全弁のようなものだと考えて、その時はできるだけノンビリ過ごすようにはしている。
今は昼間の温かいところでこのようにブログが書けるので心配はいらない。

 今日「藝文」12月号が送られてきた。「校歌の描く風景」特集号となっていた。
茨城県の22の小学校校歌とその中に歌われている景色の写真や解説が載っている。
石岡は「石岡小学校」1校である。
また芸文の紹介タイトルは「古代以来の歴史のまちに高まる郷土意識」である。

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この校歌が制定されたのは昭和26年(1951年)である。
しかし、その前に「石岡国民学校」とされた戦中の昭和18年に作られた校歌が載せられていた。

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戦中の校歌は時の文部省の認可を受けており、当時の事情を反映したもので、現代にはそぐわない。
これを現代に合わせて新しい校歌を作ったという。
作詞の大木惇夫は広島出身で東海林太郎の「国境の町」などを手掛け、作曲の細谷一郎は茨城県の出身で多くの校歌を作っているそうである。
芸文で紹介された内容では、旧校歌の戦時中は疎開児童を受け入れ3000人もの生徒がいたそうである。
今は365人というので、それ程は多くはない。
昔国衙が置かれ、府中城として使われた敷地も度重なる史跡調査で運動会にも苦労したそうで、良いような悪いような?
まあ、私の卒業した小学校は団塊の世代であり、急激に増えた生徒を受け入れるために新設され、
記念すべき第1回目の卒業生となった。これも良いのか悪いのか?

「疲れたら休めと野の花のいふ」
私も時々、脚本家、朗読舞創始者の白井啓治さんのこの一行文を思い出す。
私も休みながらいこう。
 

地域振興 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/12/01 17:25
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