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懐かしの仁王像に会いに

 大分日の出が早くなりました。今朝も眩しい太陽が輝いています。
遠くから山鳩の鳴く声が盛んに聞こえてきます。
昨日は啓蟄(けいちつ)で虫も顔を出す季節。朝、山鳩の声を聞くのも今年初めてだろうか。

昼間の気温予想は17度と暖かくなりそうだ。三寒四温でも徐々に暖かい日が増えている。
遅れていた梅の花も咲き始めるだろう。やはり春はいいな。


 小美玉市の栗又四ケの耳守神社に来たからには、その先にある石の仁王像に会わずに戻る手はない。

この像を「いしおか100物語」で読んで見に来た時の驚きをもう一度味わいたいと思った。

IMG_6396s.jpg
(サムネルです)

もと寺の入口にあったというが、寺はなくなってこの像だけが置かれている。
地震で脇に建てられた片側の石板などが一部崩れてしまったようだが、仁王像は無事だった。

IMG_6393s.jpg

初めての方は前に書いたこの像の説明をご覧下さい。(→ こちら

IMG_6394s.jpg

ほとんど人も通らない。車が脇の道を時々通り抜けるが、雨の日も風の日もこうして外に晒されている。

IMG_6395s.jpg

時間があればじっくり前に立って、像とにらみ合えば、何かを感じそうに思える。
なぜこんな素晴らしい像がこんなところにねむっているのだろうか。

昔、修学旅行で訪れた奈良の三月堂で日光・月光菩薩と対峙した時のように・・・

また、大学生の時に一人で奈良桜井の聖林寺を訪れた時の十一面観音と対峙して感じた仏像の持つ力強さを・・・。

ほとんど誰もまわりにいない時に、仏像と向かい合って静かに目を閉じ、そしてゆっくりと薄目を開ける。
仏像の後ろから光が射す。

ああまた奈良に行きたくなった。

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石仏たち | コメント(8) | トラックバック(0) | 2013/03/06 07:16
コメント
No title
> ああまた奈良に行きたくなった。

思い立ったが吉日です。行っちゃいましょう!
NINA27さん

> 思い立ったが吉日です。行っちゃいましょう!

そうなんだよね。春になったら行きたいね。
入江泰吉の写真集を手に入れたのを眺めていたら・・・。
やっと少しのんびりできるかもしれないので、行ったら報告しますよ。
No title
寺がなくなって、仁王像のみが残った。守るべきものもなくなってしまったのにすっくと立っている姿。どうしようもないほど哀れを感じてしまいます。
人や時代の流れの先にはこういうこともあるんでしょうが、本当に寂しいことですね。過疎が進むとそういうことが他でも現実問題化してきますね。
AzTakさま
こんばんは。

> 寺がなくなって、仁王像のみが残った。守るべきものもなくなってしまったのにすっくと立っている姿。どうしようもないほど哀れを感じてしまいます。

確かに哀れも感じますね。
石でできた仁王像はあまり多くないようです。それもこれだけの大きさのものは珍しいそうです。
価値があるものを、屋外に晒しておくのはやはり感心しないと思うのですが。

> 人や時代の流れの先にはこういうこともあるんでしょうが、本当に寂しいことですね。過疎が進むとそういうことが他でも現実問題化してきますね。

文化的なものをどのように見るかということと関係しているように思います。
過疎化が進んでも大切なものは保護しなければなくなりますから。
あちこちで現実のもとなって行くのでしょうね。残念です。
コメントありがとうございます。
国分寺の鐘について
今晩は。初めまして。昭和22年生まれのレプリカバイクライダーです。昭和42年、私の大学入学時に病死した母の実家が、「国分寺の鐘」の伝説が残る子生が浦(現在の玉田地区、戦前は大谷村を呼ばれていたところ)です。私の名前の由来が太平洋にちなんでいることや、戦後の農地解放の関係、水戸市在住で外孫でしたが最初の男の孫であることから小学校までは母方の姓でした。
終戦時、祖父の仕事の関係で母の一家は水戸市在住でしたが8月2日の水戸空襲で当時の大谷村に帰省したようです。
古東海道常陸ルート、更級日記などを検索するうち、必然的に貴サイトに遭遇しました。ここまで俯瞰的に探査出来る御仁を友人として得られたことを、私は勿論、石岡市民の皆さんも感謝しなければなりますまい。
国分寺の鐘の話に戻りますが、834年3月と出来ごとの出発点、あまりに具体的な割には、時は平安時代の初期。全国的には衰退を始めていた国分寺もある中で、常陸国分寺になぜこの話が在るのかその時代背景を知りたいと思います。
ご案内の各所少しづつ、バイクで駆け巡っています。
史跡を十分吟味しながら、ただそのためだけに気ままに
ツーリングに行く。そんな旅も65歳を過ぎると味があって、オツなことです。
今後とも、まほらを愛してくださることを、祈っています。
Re: 国分寺の鐘について
ZXR65さま

こんばんは。コメントありがとうございます。
このようにコメントいただくとなんとお返事して良いか迷います。

国分寺の鐘の話は、この子生の関係の方からの便りは初めてです。
昨年子生の浜(玉田の龍蔵院の下)にいって感じるものがありました。
実際にここから運ばれたものかは何も確信もできませんでしたが、そのルートを
たどるにも道はよく分からず、今では道のないところを通っていた様でもありました。

鹿島灘は波が荒く鐘以外に何かつなぐ文化的な交流があったのかもしれません。

> 古東海道常陸ルート、更級日記などを検索するうち、必然的に貴サイトに遭遇しました。ここまで俯瞰的に探査出来る御仁を友人として得られたことを、私は勿論、石岡市民の皆さんも感謝しなければなりますまい。

今年でブログも3年目です。こうしてコメントをいただけるだけで私もひとつ年上の友人を得た気持ちです。
国分寺の鐘についてはあまり詳しくはわかりません。
今の石岡の国分寺は名前は一緒ですがまったく昔の国分寺ではありません。
もちろん昔国分寺があった場所に建っていますので、無関係とも言えません。
大きな仁王門や鐘も1つだけは明治まであったのですが、焼けてなくなってしまいました。
カラミ堂あたりをもう少し発掘して調査してみたらなにか出てくるかもしれませんね。

江戸時代に盗まれた片方の鐘も霞ヶ浦に沈んでいるのか、これもお話で残されているだけでいいのかもしれません。

> 国分寺の鐘の話に戻りますが、834年3月と出来ごとの出発点、あまりに具体的な割には、時は平安時代の初期。全国的には衰退を始めていた国分寺もある中で、常陸国分寺になぜこの話が在るのかその時代背景を知りたいと思います。

そうですね。あまりまともに考えたことがなかったですね。確かに何か意味があるのかとも思います。
八日ケ堤、こみ折れ橋などという名前にもそれなりに別な意味はあるのかもしれません。

> ご案内の各所少しづつ、バイクで駆け巡っています。
> 史跡を十分吟味しながら、ただそのためだけに気ままに
> ツーリングに行く。そんな旅も65歳を過ぎると味があって、オツなことです。
> 今後とも、まほらを愛してくださることを、祈っています。

また時々お気づきのことなどお知らせください。
メールはHP(1300年の歴史の里石岡ロマン紀行)の方にリンクがあります。
力強くで好きです
お晩です、Romanさん。
この仁王像を見た時、ある像を思い出しました。
池上本門寺の日蓮像。大きいのですよ。
日蓮は世の中の矛盾への怒りが爆発した
そんな姿でした。この仁王像も
同じくらい凄まじい感じです。
こんなインパクトに満ちた像が、
二人寂しげにいるのですね、ここには。
見たい場所がまた一つ増えました。
ありがとうございます、またお邪魔します。
kozoh55 さん
こんばんは。

とても嬉しいコメントをいただきました。
ありがとうございます。
池上本門寺の日蓮像を私も見てみたくなりました。

> こんなインパクトに満ちた像が、二人寂しげにいるのですね、ここには。
> 見たい場所がまた一つ増えました。

駅からは遠いのですが時間が取れましたら是非見てください。

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