胎安神社(春の祭礼)
3月3日はひな祭りであるが、かすみがうら市の胎安(たやす)神社の祭礼日だというので出かけてみた。
昨日紹介した子安神社の祭礼は9月で、こちらは3月と春・秋に分かれて祭礼を行っている。
この神社の由来などはよくわかっていないが、子安神社が鹿島の神(タケミカズチ)を祀り、こちらの胎安神社は香取の神(フツヌシ)を祀っている。
そして両方共に笹竜胆(ささりんどう)の源氏の紋を使っている。
謂れも八幡太郎義家が前九年の役、後三年の役で蝦夷征伐にやってきた時にここで祈願したり、神社や橋を修理したなどと言われている。
しかし、この近くの志筑(しづく)藩である本堂家が佐竹氏が秋田にいったために、逆に秋田からやってきたが、これが源氏の家系であるいうことで、笹竜胆の家紋を掲げており、神社も本堂家により庇護されたのとも関係しているかもしれない。
この両神社の間を通る道も「鎌倉街道」(地元の人は茨城県で国体が開かれた時に整備されたので、国体道路という)とこの両神社では呼ぶ。

(サムネルです)
祭礼は午前9時から午後3時の間に行われます。
祈祷を希望される人が記帳を済ませ、拝殿の中で神主よりお祓いを受け、玉串を奉納します。

もう少し多くの方がこられるのかと思いましたが、9時に祈祷にこられた方は10人くらいでしたでしょうか。

境内では氏子さん達により甘酒が振舞われていました。
9時前に行くと神主さんから優しく甘酒を勧められましたが、車だと断ると、お酒は入っていないとのこと。
でも遠慮しました。
この神社は前に行った時も祭りではなかったのですが、お茶のホット缶をいただいたこともあります。
あとから考えると戌(いぬ)の日だったのかもしれません。
子宝に恵まれ、安産と言われる犬にあやかってのことだと思いますが、戌の日にも祭礼が行われています。

ここは全国的のも珍しい「胎安神社」といいます。
八幡太郎が蝦夷に行くときにこの神社で妻の安産を祈願し、無事に生まれたので、その後、都に戻ってからこの神社に寄進をしたと伝わっています。


屋台は昔はたくさん出たらしいですが、今は2つだけです。前の時も出ていたように思いますので、最近はこの状態なのでしょう。

神社の裏手、本殿脇に「子持ち松」という御神木があります。
根元に大きな石を抱き込むように育っていた樹齢500年くらいの松でしたが、明治時代に枯れてしまったそうです。
今は根元部分だけを残しています。

入口の随神門。左右に像が祀られることが多いのだが・・・。

神社に向かって右側には「日光宮」

左側は「八幡宮」となっています。それぞれに武者絵が描かれています。

そして真ん中上には龍の絵が描かれていました。
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昨日紹介した子安神社の祭礼は9月で、こちらは3月と春・秋に分かれて祭礼を行っている。
この神社の由来などはよくわかっていないが、子安神社が鹿島の神(タケミカズチ)を祀り、こちらの胎安神社は香取の神(フツヌシ)を祀っている。
そして両方共に笹竜胆(ささりんどう)の源氏の紋を使っている。
謂れも八幡太郎義家が前九年の役、後三年の役で蝦夷征伐にやってきた時にここで祈願したり、神社や橋を修理したなどと言われている。
しかし、この近くの志筑(しづく)藩である本堂家が佐竹氏が秋田にいったために、逆に秋田からやってきたが、これが源氏の家系であるいうことで、笹竜胆の家紋を掲げており、神社も本堂家により庇護されたのとも関係しているかもしれない。
この両神社の間を通る道も「鎌倉街道」(地元の人は茨城県で国体が開かれた時に整備されたので、国体道路という)とこの両神社では呼ぶ。

(サムネルです)
祭礼は午前9時から午後3時の間に行われます。
祈祷を希望される人が記帳を済ませ、拝殿の中で神主よりお祓いを受け、玉串を奉納します。

もう少し多くの方がこられるのかと思いましたが、9時に祈祷にこられた方は10人くらいでしたでしょうか。

境内では氏子さん達により甘酒が振舞われていました。
9時前に行くと神主さんから優しく甘酒を勧められましたが、車だと断ると、お酒は入っていないとのこと。
でも遠慮しました。
この神社は前に行った時も祭りではなかったのですが、お茶のホット缶をいただいたこともあります。
あとから考えると戌(いぬ)の日だったのかもしれません。
子宝に恵まれ、安産と言われる犬にあやかってのことだと思いますが、戌の日にも祭礼が行われています。

ここは全国的のも珍しい「胎安神社」といいます。
八幡太郎が蝦夷に行くときにこの神社で妻の安産を祈願し、無事に生まれたので、その後、都に戻ってからこの神社に寄進をしたと伝わっています。


屋台は昔はたくさん出たらしいですが、今は2つだけです。前の時も出ていたように思いますので、最近はこの状態なのでしょう。

神社の裏手、本殿脇に「子持ち松」という御神木があります。
根元に大きな石を抱き込むように育っていた樹齢500年くらいの松でしたが、明治時代に枯れてしまったそうです。
今は根元部分だけを残しています。

入口の随神門。左右に像が祀られることが多いのだが・・・。

神社に向かって右側には「日光宮」

左側は「八幡宮」となっています。それぞれに武者絵が描かれています。

そして真ん中上には龍の絵が描かれていました。


>八幡太郎が蝦夷に行くときにこの神社で妻の安産を祈願し、無事に生まれたので、その後、都に戻ってからこの神社に寄進をしたと伝わっています。
八幡太郎と言えば武勇の人ですが こんなお話を伺うと気は優しくて力持ちの 良き家庭人であり子煩悩な良き父親だったようなイメージが湧き何となくほっとしました。
優れている割には好待遇ではなかったようなので家庭は幸せであってほしいと思いました。
武者絵は色がさめたのかもしれませんが 浮き出てくるように見えて 良いですね。
沢山の絵馬 きっとご利益があることで知られているのでしょうね。子供は国の宝です。願いが叶いますように
お晩です、Romanさん。
いつもご訪問ありがとうございます。
仁王像じゃないんですね、ここは。
どれも迫力ある作品で、見とれてしまいそうです。
日光宮は「イノシシ」に乗っているのでしょうか?
面構えも良いですねえ。
またお邪魔します。
> 優れている割には好待遇ではなかったようなので家庭は幸せであってほしいと思いました。
これも後の源氏の世になって偶像化されて祀られたのでしょうが、いまでもあちらこちらに話が残っていて本当はどんな人物だったのかいろいろに想像されますね。
> 武者絵は色がさめたのかもしれませんが 浮き出てくるように見えて 良いですね。
像を置かずに絵を飾るのはあまり見かけないような・・・。でもこの絵も面白いですよね。
写真にでも残さないとじっくり見るだけでは記憶力が弱いので頭に残らないんです。
> 沢山の絵馬 きっとご利益があることで知られているのでしょうね。子供は国の宝です。願いが叶いますように
皆んな親の願いは同じだと思います。住職さんも優しそうな方でした。
確かにあまり見かけません。江戸時代のものでしょうか。
> どれも迫力ある作品で、見とれてしまいそうです。
> 日光宮は「イノシシ」に乗っているのでしょうか?
> 面構えも良いですねえ。
日光宮は日光輪王寺や上野寛永寺などと関係があるようですが、
この猪は乗っかているようにも見えるし、猪狩りをしているようにも見えます。
ただわざと足元をぼかしているのかもしれません。
この神社になぜこのようなものがあるのかはわかりません。
でも面白いと思います。
今日もお越しくださりありがとうございました。