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舟塚山古墳

 昨夜から今朝は大雨で大変であったが、昼から天気となった。
しかし気温が生温かく何か変な陽気である。
茨城には竜巻注意報がでたとか。今も風が結構強く吹いている。
今日は石岡が誇る「舟塚山古墳」について、少し書いてみたい。
石岡の名所案内には必ず出てくる名前なのだが、私が隣町に長く住んでいた時には
一度も聞いたことがなかった。地元では有名でもそんなものなのだろう。
この古墳は東日本で2番目の大きさだとなっている。しかし1番目がどこか、また
日本でどのくらいの規模かは何処にも記載されていない。
ネットで調べてみると、東日本での1番目は群馬県太田市の太田天神山古墳で全長210m
で日本全体では27位。舟塚山古墳は全長186mで日本では46番目だという。
さすがに関西が多く、1位は仁徳天皇陵で486mなのでかなり規模は違います。
ただ、100mを超えた古墳は東日本ではそれ程なく、かなりの豪族のものと考えて良いでしょう。
また5世紀後半のものと推定され、仁徳天皇御陵などと似た特徴があるという。

funatsukayama.jpg
<舟塚山古墳は霞ケ浦に漕ぎだすような形から「入船」と呼ばれ、上からは筑波山が良く見える>

さて、この時代にこの地を支配していた豪族が大和朝廷とつながっていた??
これを裏付けるためには、内部を発掘すべきですが、現地に書かれた案内板には気になる記述があります。

「舟塚山の発掘調査はなされていないが、地元には、多数の刀が出土したという伝えがある。」

一体どういうこと??
この舟塚山古墳の周りには沢山の古墳があり、古墳群となっています。
昭和47年に周辺の確認調査が行われ、円筒埴輪や、木棺、短甲、直刀、盾などが出土し
これらは風土記の丘の有料資料館の中に展示されています。

funatsukayama2.jpg

舟塚山古墳本体の発掘調査はどうやら出来ないでいるようですね。
やっても、もう何も出ないことがわかっているのでしょう。
実は盗掘も穴が見つかったりしているそうです。
また、地元も人に掘らせて、酒を与えて蓄えこんでいる人がいるのでは?
などという噂も聞こえてきます。
歴史的にこの地がどのような豪族が住んでいたのかを知るとても貴重な国民の財産です。
噂だけなら良いのですが・・・・。
地元の歴史ボランティアの方などに伺っても、あまりはっきりした回答はありません。
しかし、古墳に詳しい人に聞けば、全国で盗掘の被害がない古墳は少ないらしいです。
中世に掘られ、装飾品や刀などは売り飛ばされたり、溶かして再利用され無くなった
場合も多いとも聞きます。
さて、残念ながら舟塚山も被害にあっていると考える方が一般的な考えでしょう。
今、この古墳近くを国道のバイパスが通るための工事が進められています。
昔舟塚山の上は松林だったといいます。松くい虫でやられ、すべて切り倒されて
今のような芝生で覆い、筑波山や霞ケ浦が眺められるようになっています。
一度登って昔をいろいろと想像してみてください。
昔は霞ケ浦は海だったのですよ。海水が入ってきていたはずです。
イルカやサメ、クジラもいたかもしれませんね???
白井啓治さんの「霞ケ浦の紅い鯨」(クリックするとpdfが開きます)を読んでみてください。
 

石岡市内 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/12/03 19:04
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