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阿弥陀寺(額田)と親鸞大山草庵(2)

今日はこれから出かけますので、記事を早めにUPします。

 さて、那珂市額田の阿弥陀寺の寺の境内に置かれた案内板の内容を見てみましょう。

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もう一方の城里町にある大山草庵跡に掲げられている説明内容を下記に示します。

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大きな椿の下におかれた案内板はこのように日差しが強く読みづらくなってしまいました。
この写真を撮ったのはもう5年以上前のものです。
その頃読んでもわからなかったことが自然に理解できるようになりました。

親鸞は常陸国に来たのは1212年です。最初は下妻市小島の草庵におり、笠間市稲田の稲田九郎頼重に迎えられて稲田の草庵に1232年まで20年近く(60歳まで)妻と子供とで生活しています。
真宗教義の元となった「教行信証」は主にこの稲田で執筆したものと思われます。

この稲田から北西に15km離れた大山に別な草庵を建てたのは、この地に何かあるのではないかと考えていたのです。
書かれている説明を読んで、一応の流れは理解することができました。

整理すると、親鸞の師である法然が1212年に亡くなり、その年に法然の孫弟子である行観上人がこの地に浄土宗の阿弥陀寺を建てた。
そして、常陸国で布教活動をしていた親鸞をこの地に来てくれるように懇請し、それに応えて北部への布教の拠点としてこの1214年に阿弥陀寺境内に大山草庵を建てた。

この年(1214年)の11月8日に、この地で法然の三回忌法要を行い、親鸞直筆とされる三尊六高祖を安置した。
これによって浄土真宗が始まったといわれ、この大山の地が開宗宣言の地と言われる。
もっとも親鸞は新しい宗教を起こしたとは思っていなかったようで、あくまでも法然(浄土宗)を師と仰いでいたと言われます。

その後、ここには浄土宗の阿弥陀寺が存続しますが、七代目の明徳三年(1392)に額田(那珂市)の佐竹義重の子の義直がその100年ほど前に築城した額田城に入っていた小野崎氏の懇請を受け、額田城の守護寺として、現在地に移り、浄土真宗阿弥陀寺を建てた。

しかし大山には浄土宗の阿弥陀寺は残り、1842年に水戸の徳川斉昭公の寺院整理に伴って廃寺となったという。

ああなんとなく時系列的には整理できたが、親鸞がこの地を選んだのは別な意味があったのではないかという気がしてならない。もう少し調べたいが謎の多い親鸞であるのでこれは無理なように思う。

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額田の阿弥陀寺には立派なしだれ桜の木がある。
もう少ししたら綺麗に花開くに違いない。

三春の滝桜も見たいが、この桜も見てみたい。

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元々は中世の城「額田城」の一角にあった寺であり、全体に周りは広々としている。

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「大山禅坊」と書かれているのが目に付いた。


城里町の大山草庵跡の写真を少し載せておきます。

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正面に鳥居は「阿波山上神社」のもの。この神社もとても気になる場所です。
阿波山はこのあたりの地名にも使われているが、「粟」という地名もあり、水戸に注ぐ大きな那珂川が近くを流れます。
そして、常陸国風土記には那珂川は「粟川」と表記されています。

この阿波山上神社の御神木は「スクナヒコナ」神が降臨したとされて、特異な神社です。

右手が桂中学校で、その手前の道を入ったところが大山草庵跡です。

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阿弥陀寺
(サムネルです)

左が旧桂村の大山草庵跡、右が那珂市額田の阿弥陀寺。中間に瓜連(うりづら)があります。

大分長くなってしまいました。


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親鸞と茨城 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/15 13:17
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