fc2ブログ

親鸞750回忌(3)

 さて、今日は昨日の山伏弁円についてもう少し調べてみました。
弁円についても生まれなどはいくつかの説があるようです。
幼い時に三井寺(滋賀県大津市)にはいり播磨坊弁円と称したとされ、平清盛の孫で平家滅亡の時に四国伊予に落ち延びてとする説があるといいます。
はっきりしたことは不明ですが、この播磨坊弁円を常陸太田に居を構えていた佐竹秀義が招き、塔の尾(現在の常陸大宮市東野)に祈願所法徳院を構え、山伏など修験者約800人が集まっていたというからかなり大きな道場があったとされます。
弁円が親鸞を襲ったのは親鸞49歳、弁円42歳の時です。
 弁円は親鸞の弟子となり「明法房」の名前をもらいます。
親鸞には24人の弟子がおり、24輩と呼ばれています。明法房は19番です。
嘉禄二年(1226)明法房は楢原山法徳院法専寺を創建し、建長三年(1251)73歳で往生して旧法徳院跡地に葬られました。現地には「明法房の塚」として碑が建っています。

明法房が読んだ歌として、昨日の懺悔の時の歌ともう一つが知られていますので載せておきます。
  
   あだとなりし 弓矢も今は 引きかえて 西に入るさの 山の端の月

さて、明法房が創建した寺(第19番)は額田の上宮寺とされています。
上宮寺は明法房が69歳の時に建てたが、これを明教房に譲り、思い出の石岡の真家村に一宇を建て、明法房の明と弁円の円の字をとって「明円寺」としたとされる。

myouenji01.jpg

この明円寺は弁円の寺であるが、他の2つの寺に比べあまり知られていない。
市でももう少しPRした方が良いと思う。

myouenji02.jpg

真家のお盆祭りである「みたまおどり」は平安時代から伝わるもとして知られるようになってきたが、現在は8月15日の朝、この明円寺から始まる。
現在の明円寺は昔はもっと山の上の方にあったが、津波に流されて下の方に建て直され、また火災にもあったとされます。

また明法房が亡くなったことを聞いた親鸞は「かえすがえすもうれしそうろう」と手紙に残されたという。
親鸞の教えが少しわかるようなエピソードです。
 

親鸞と茨城 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/12/06 21:45
コメント

管理者のみに表示