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長者山仁王尊阿弥陀院(銚子)

 先日銚子で金目鯛を食べた後、海岸に沿った道路を戻ってきた時に途中で見かけて立寄ったお寺がある。
「長者山」と書かれた石柱がたっている。

場所は松岸駅に近い垣根町にあり、海上小学校のとなりになる。
なにか古そうな建物が見えたので、由来も名前もわからずに立ち寄ったのだ。

丁度この日は祭礼があったのかどうか知らないが、受付などの準備が進められていた。
近所の人も三々五々自転車などでやってき始めていた様子だった。

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横の方から入ってしまったので、正面に回って写真を撮った。
正面に灯篭や立派な仁王門がある。

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仁王門と書いたが、仁王像は置かれていない。中が暗いが仁王様がいらっしゃるそうです。ご指摘頂きましたので訂正します(2014.6.16)
このように両側に「長者山」と大きく書かれた板が置かれている。

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そして、仁王像が安置されているべきところの金網にはたくさんの履物が奉納され、納札二ヶ所目と書かれていた。

仁王門の手前に入口の受付のような場所があったので、そのが一ヶ所目だったのかもしれない。

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仁王像が置かれているべき場所は「賽銭口」とあるので、賽銭を入れる場所になっていた。

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正面の上には「仁王尊」という額がかかっていた。ここそのものが山門でもあるが、仁王様を正式に祀っているようだ。

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門をくぐった先の正面にあるのは「阿弥陀院」の本堂。
調べてみると、この寺は正式には阿弥陀院根本寺(こんぽんじ)となっていた。
正面に「札所三ヶ所目」と書かれた札があった。
なかなか形の良い阿弥陀堂である。

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入口の狛犬の表情も良い。

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帰ってから、調べてみると結構面白いことがわかってきた。
私の散策もこのようなことが多い。
訪れた時はわからずに疑問を解消しようと調べだしたら、記事がまとまらなくなる。
でも早めに残しておきたくなる。そしてその得た知識が別なところを訪れていてふと思い出されて関係が気になってまた調べる。
そんな繰り返しだ。いつになっても終わらない。

調べた内容を大雑把に書くとこんなことだ。

ここ長者山と名が付いたのは、この場所に昔の海上郡で一番の長者が住んでいたのだそうだ。
土地の名前で「垣根の長者屋敷」と呼ばれていたという。
名前は「根本右兵衛義貞」。この根本(ねもと)の名前から根本寺(こんぽんじ)(寺と苗字の読みが違うことは普通よくあること)となった。

しかし、面白いのはここに「安倍晴明」の伝説が残っていることである。
陰陽師で有名な安倍晴明伝説がどうして銚子に残されているのか。

伝説の内容の詳細は こちら などを参考にさせてもらいました。

安倍晴明は平安時代の陰陽師としてその名を知られていますが、出生についてはいろいろな説があります。
大阪の安倍晴明神社のある阿倍野区というのが有力とされているのですが、茨城県の筑波山の麓である旧明野町猫島(現筑西市猫島)で生まれたとする説もかなり有力なのです。

921年生まれ1005年没とするのは少し年齢的におかしな気もするので、940年生まれというのも比較的時代もあっているようです。
晴明のことが書かれている最も古い歴史的文献「ほき抄」がその証拠と言われています。
平将門がいたのもこの近くですし、亡くなったのは940年です。

ただ、ここに残されている伝説では、晴明は都から筑波に逃げてきたとされます。
そして、この銚子の長者「根本氏」宅に匿われ、その時に長者の娘が晴明に恋をしてしまい、財産を全て渡すことを申し出られて一旦約束するが、顔の半分にあざのある姿に耐えられず晴明は逃げ出したのだそうです。

そのあとを追いかけ、晴明が着物・履物を脱ぎ身を投げたように偽装したため、それを信じた娘が身を投げて死んでしまい、その歯と櫛が流れ着いたのを祀った「歯櫛明神」が建ち、その後名前を「白紙神社」となり、明治になって地名から「川口神社」となって今に残るといいます。

その他にも幾つかこの近辺にこの伝説が元となった神社な名前が多く残されているのです。

この伝説はいくつかおかしなところがあります。
でも本当か嘘かというのではなく、この海上国が常陸の筑波山の麓地方と関係があったことを伺わせる話であることが興味をそそります。

千葉氏からわかれた相馬氏は将門の子孫を自認します。
千葉県西部にこの子孫が点在し、色々なところに伝説を残しています。

福島県の海岸沿いにある相馬市、南相馬市(原ノ町)なども相馬氏の子孫がいた場所ですが、千葉県の柏や我孫子、また茨城県の取手、守谷、常総市、利根町などは昔はみな相馬郡と呼んでいた。

美浦村に残されている信太の小太郎伝説などもこの将門の子孫とされている。
そして利根川、常陸利根川が注ぐ銚子にこのような話が伝わっていたことがなんとも驚きで面白いのです。



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銚子 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2013/04/21 17:15
コメント
ほんとうに不思議ですね
お晩です、Romanさん。
阿部晴明のこと、すごく面白く読ませていただきました。
京を舞台に「悪霊」と戦ったというイメージくらしか
しりませんが、こんなにも身近、千葉県に
生まれたという伝説があるのですね。
本当じゃなくても、面白いお話です。
そう思うと、関東にはあらゆる場所に
源頼朝が立ち寄っている伝説がありますし、
平将門も大手町など登場しっぱなしですよね。
不思議であり、楽しいお話です。
また、お邪魔します。
kozoh55さん
こんばんは。

> 阿部晴明のこと、すごく面白く読ませていただきました。
> 京を舞台に「悪霊」と戦ったというイメージくらしか
> こんなにも身近、千葉県に生まれたという伝説があるのですね。

ほんとに面白いですよね。
でもここに伝わるの話も生まれたのは千葉県ではなくて茨城県(筑波山の麓)の生まれです。
生誕地は大阪、茨城、香川とがあるようですが、茨城説もかなり強いらしいです。

> 本当じゃなくても、面白いお話です。
> そう思うと、関東にはあらゆる場所に
> 源頼朝が立ち寄っている伝説がありますし、
> 平将門も大手町など登場しっぱなしですよね。
> 不思議であり、楽しいお話です。
> また、お邪魔します。

源頼朝もそうですが、その前の八幡太郎義家伝説が多いですね。
将門は京で処刑されて首が空を飛んで茨城に帰る途中で江戸に落ちた?
庶民の話は、今のような情報社会ではないのでどこからともなく
話が作られていくのかもしれません。
結構それで楽しんでいたのかもしれませんね。
コメントありがとうございました。
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鍵コメ様
ご指摘ありがとうございます。
訂正させていただきました。

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