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和田公園のチューリップ

 昨日銚子へ行くのに霞ヶ浦の南岸を車で通りました。

浮島を横断していったので、途中広畑貝塚や、景行天皇行在所などを懐かしく思い出しながら通過していて、和田岬のチューリップ公園を思い出して寄り道してみました。

もうチューリップ祭りは終了したらしくイベントの看板や矢印もありません。
少し行き過ぎてから公園に向かうと、車もほとんど来ていません。

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チューリップ祭りは4月21日に終わっていました。
この21日は雨や風が強く屋外でのイベントが中止されたようです。

もう少しまだチューリップが咲いていると思ったのですが、7割くらいはもう花もつけていません。
花が終わった後の手入れの最中です。
球根のためにも咲き終わった花は摘み取ったほうがいいのですよね。茎の先端を摘み取っているようです。

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でも、ここのチューリップはたくさんの種類のチューリップが植えられます。
もう終わったと思ったら、奥の方にはまだ咲いていました。

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この和田岬は浮島の霞ヶ浦に飛び出た先端にあります。
浮島と名前があるように、ここは昔は周りを海で囲まれた島だったところです。

建借間(たけかしま)は、軍を率ゐて安婆(あ ば)の島に宿を設けた。そして海の東の浦を遥かに望むと、煙が見えた。軍人たちはこもごも賊軍ではないかと疑った。建借間の命は、天を仰いで誓(うけひ)して、「もし天人の煙ならば、立ち来たって我が上を覆へ。もし荒ぶる賊の煙ならば、遠ざかって海へ靡け」といふと、煙は、海へ向かって遠く流れて行った。かうして賊であることがわかったので、軍兵みなに命じて朝飯を早く済ませて、軍は海を渡った。

そして、潮来に賊を追い詰め、穴に隠れてしまった賊を楽しい音楽や踊りにつられて出てきた賊を皆殺しにした。
痛く殺したので「板来(いたく)」とその地は呼ばれた。これが今の潮来だそうです。

この賊というのはここに暮らしていた縄文人(蝦夷)です。

このあたりの霞ヶ浦から対岸を眺めるとこの話が頭をよぎります。

婆(あ ば)の島というのもこの近くの阿波(あば)という場所やアンバ様として親しまれている大杉神社などがあるこの浮島の手前の半島部分か、このあたりを言ったのだろうという思いがします。



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霞ケ浦の自然 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/04/27 19:19
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