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塙家住宅-分棟式曲り屋

 安居の古代の官道駅家(うまや)があったとも割る場所の近くに国指定文化財の「塙家住宅」があります。
前にブロ友さんの記事で気になっていて3月末に見に行っていたのですが、古代官道記事が先になり、やっと紹介できるようになりました。

とても興味深い家屋でした。
まあ、多くの方は「なんでこんなところに感動しているんだ」と思われると思いますが・・・。

そう、江戸時代にできた藁葺きの家屋でしかないんです。でも面白い。初めて見る形です。

少しずつ写真とともに紹介します。

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このあたりは江戸時代水戸徳川家の宍戸藩の領域ですが、佐竹氏が家康に秋田へ飛ばされた時に、秋田氏が国替えで入ってきました(1602年)。
しかし、秋田氏は1645年に福島県三春に移されてしまったために、この地にいたのも比較的短かったのです。

この塙家は、この秋田氏の名主をつとめていた家で、三春に移った時に随行せずにこの地に残ったそうです。

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この建物は江戸中期の18世紀中頃だそうですので、なぜこのような建て方になったのかについて、いろいろな憶測を呼びそうです。
詳細は後で述べます。

正面に大きな入母屋造りの主屋があり、右手には兜屋根の家屋が隣り合ってL字型配置に置かれています。
これは正しく曲り屋とそっくりです。

那珂市の一の関ため池親水公園に移築されたつるし雛で有名な曲り屋とそっくりです。(こちら参考)

兜屋根にしているのは2階部分の開口部を広く取るためで、東北地方などでも普通のようです。

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違っているのは、曲り屋ではあるのに、二つの茅葺き屋根が分かれてしまっているのです。
確かにふた棟を連続した屋根で茅葺きにするのは手間がかかりますが、それなら二棟を分けてしまえば済むのだと思いますね。

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しかし、この二棟は屋根は別々ですが、内部は普通の曲り屋と同じで、一体に続いているのです。

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では雨が漏らないのか心配ですよね。
それがこの構造を見てわかったのです。
二つの家屋の中間に大きな丸太が で~ん と渡してあるんです。
しかも丸太を半割れにして中をくりぬいて大きな樋になっていたのです。

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裏に回ってみると、このように丸太がニョキッと飛び出していました。
変わってますよね。初めて見ました。

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それにしてもずいぶん大きな木を使ったもんですね。

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なぜこれが面白いのかって??
下の説明を読んでみてください。

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読んでもつまらないでしょうか?
きっと面白がる人は少ないのでしょうね。

私が面白いと感じたのは最後の方に書かれていた内容です。

「このような分棟型の民家は、沖縄や鹿児島に多く見られるほか、西日本の太平洋側に分布しています。千葉県の房総半島から九十九里海岸辺りにも見られます。本県の場合、海岸寄りではなく、水戸市の西方部、美和村(現常陸大宮市)・桂村(現城里町)・御前山村(現常陸太田市)から笠間市にかけて内陸部に見られます。」

これは、私が石岡から北部の道を感じるままに美和地方にたどり着いたのとまさに同じルートなんです。

桂村の「粟」「阿波山」から御前山までは那珂川(昔は粟川)沿いです。

古代の官道も水戸の河内から北へ延喜式に書かれた駅家(うまや)のルートとしてこちらの道を挙げていませんが、車で走ってみると桂村、御前山村、美和村のルートの流れが前からとても気になっているのです。

鹿児島から太平洋と房総までは完全に黒潮ルートです。海のシルクロード沿いです。
そして那珂川沿いを遡るのが、民族の移動の流れのように思えます。

縄文人(蝦夷人)もこのルートに沿って後退して行ったのかもしれません。

坂上田村麻呂、八幡太郎義家などの蝦夷征伐は、このルート沿いにいろいろな伝説が残されているのも興味をそそります。

さて、もう一つ興味を抱いたことがあります。
それはこの地に来た秋田氏の出生です。

平安時代に出羽(秋田)から津軽(青森)を治めていた安東氏がそのはじめであるが、この秋田氏は安倍氏の後裔を自認し、阿弖流為の子孫であるとまで称しているという。

そうすると、この分棟型の民家の分布を真っすぐにたどると三春にたどり着く。
やはり何かあると考えるのは考え過ぎか?



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笠間方面 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2013/05/10 20:09
コメント
No title
おはようございます。
丸太をくりぬいた雨樋で排水して、無理矢理曲り屋にするなんて、なんて合理的な?私もおもしろいと思いました。
ややさん
こんにちは。

> 丸太をくりぬいた雨樋で排水して、無理矢理曲り屋にするなんて、なんて合理的な?私もおもしろいと思いました。

合理的なのかわかりませんが、内部から見たら立派は木の梁に見えると思います。
こんなのがあるのだと感心してしまいました。
それを賛同していただき嬉しい限りです。(笑)

出雲の方にはあるのでしょうか?
笠間周辺には出雲系の神社が多いんですよ。
コメントありがとうございました。
No title
うふふ、なるほどねえ。考えたものですねえ。巨大な雨樋が渡してあったんですねえ。
殿様の方は三春に行ったんでしたよねえ。三春も素晴らしいところなんですよ。人がのんびりしていて、景色も同様に長閑です。
AzTakさん
こんにちは。

> うふふ、なるほどねえ。考えたものですねえ。巨大な雨樋が渡してあったんですねえ。

そうでしょ。こんなの渡すの大変だと思うのだけれど、屋根を拭くのは楽になるのでしょうね。

> 殿様の方は三春に行ったんでしたよねえ。三春も素晴らしいところなんですよ。人がのんびりしていて、景色も同様に長閑です。

三春はいわきの方から近いですよね。
ここにも何度か車で通っていて、いつも「三春駒」を思い出していたのですが、最近は滝桜が有名になりすぎですね。
高速ができる前に下の街道を車で走って、のんびりしたお店でラーメンを食べたのを思い出します。
No title
こんばんは
山陰地方には曲り屋は、ほとんど無いと思います。巨大雨樋で、排水できたとしても積雪にはつらそうです。
出雲系の神社が、どうしてそんなところまで行ったのか?北前船の西回り航路上ならともかく、太平洋側っていつ?
いろいろ想像をかき立てられますです。
ややさん
こんばんは!

またのコメントありがとうございます。

> 山陰地方には曲り屋は、ほとんど無いと思います。巨大雨樋で、排水できたとしても積雪にはつらそうです。

そうですよね。曲がり屋は主に東北地方が多いのですが、豪雪地方ではこの方式のセパレート屋根は排水に問題ありそうですね。
記事にも書いたように房総以南の太平洋側が多いのは雪とも関係しているかもしれませんね。

> 出雲系の神社が、どうしてそんなところまで行ったのか?北前船の西回り航路上ならともかく、太平洋側っていつ?
> いろいろ想像をかき立てられますです。

出雲系はたくさんあります。でも海寄りではなく内陸が主体で、神話に出てくるように国譲りで諏訪大社に奉られ、出雲ー諏訪ー笠間と直線でつながるんです。
出雲系の人々が内陸を通って筑波まで来たのですがこの山が越えられず山の西側に多くの神社が集中していて、山を回り込んで笠間地方までは出雲系が多いようです。

まえに出雲神話と常陸国について書いたことがあります。
こちら:http://yotsuba23.blog104.fc2.com/blog-category-37.html

そちらのブログをリンクさせていただきました。よろしいですか?
No title
おはようございます。
出雲の人たちが行っているんでしょうか?なんだかすごいですね。
リンクの件、ありがとうございます。
こちらからも貼らせていただこうと思います。これからもよろしくお願いいたします。

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