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真壁散歩(1)-真壁氏累代の墓

 石岡から峠を一つ越えたところに真壁の街があります。
少し前までは茨城県真壁郡真壁町でしたが、合併で桜川市真壁町と名称は変わった。

ここは3月のひな祭りと石の産地として知られ、江戸時代の建物なども残っており興味深い地域である。

しかし、なかなかこの地に足を踏み入れるのがためらわれていた。
理由は、単に峠を越えてくるののが面倒だからということもあるが、歴史的にも単純でなくブログに書き出すと調べることが多くなって連続的に投稿できそうにないのである。

歴史オタクでもないつもりだが、ここを知るには平将門、平良兼(国香の弟)、菅原道真、真壁氏、赤穂浪士の浅野家などを思い浮かべる。

そのため、本当の姿を知るのにはかなりの労力と時間を要することになりそうな予感がするのだ。

この真壁散歩記事は連続ではなく飛び飛びに思いつくことから調べていって、結果的に何かが見えてくればそれで良いと思う。

ではまずは、町の名前と同じ真壁氏の累代のお墓にお参りしていきましょう。

石岡からは県道7号線を柿岡から上曽峠を越えて真壁の街に下る坂の途中にあります。

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この場所は少し高い場所にあり、街が見下ろすことができる良い場所です。

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真壁氏の墓のあるのは「遍照院正得寺」という寺の裏の墓所です。

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(写真をクリックすると拡大します)

寺の境内に隣接した木々で覆われた場所がこの真壁氏のお墓群です。

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(写真をクリックすると拡大します)

この五輪塔は全部で40基ほどあるそうです。
これだけあるとやはり圧巻です。

真壁氏は石岡の大掾(だいじょう)氏と言ってみれば兄弟分です。

大掾氏もつくば市北条の多気(たけ)城にいた多気大掾直幹の四男長幹が真壁に築城して真壁氏を名乗ったのが始まりとされています。

この多気直幹の長男が前に北条散歩で紹介した多気太郎こと多気義幹(たけのよしもと)(こちら)で、八田氏らの換言で源頼朝によって、建久4年(1193年)失脚させられ、所領も大掾職も没収された人物です。
大掾職はその後、この多気氏の系列であった水戸の吉田氏(馬場氏)に引き継がれ、石岡の大掾氏として継続します。

ですから、石岡から見ても兄弟分のようなものでしょう。
もっと石岡も連携してひな祭りだってやればいいのですよね。

歴史街道というくくりだってできますよ。

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(写真をクリックすると拡大します)

この五輪塔も東日本大震災の地震でかなり大きな被害が出たようです。
これを修復した記事を見つけました。(こちら
やはり「真壁石燈籠伝統工芸士会」などという石の町真壁ならではの組織があるんですね。

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この真壁氏は鎌倉幕府の始まる少し前の室町時代から戦国時代末期まで約450年間栄えました。
この五輪塔から真壁の街が見下ろせます。

ここで生きてきた古(いにしえ)人たちは、その後の江戸時代や現在の姿をどのように見ているのでしょうか?

そんなことを考えるのが好きです。



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真壁散歩 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/05/17 19:19
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