真壁散歩(2)-五所駒滝神社(1)
真壁氏累代の墓(40基の五輪塔群)の北側に五所駒滝神社がある。
ここに来るまでこんな立派な神社があることを知らなかった。
神社の地図を見ると県道7号線から神社に入る道があって、真壁の伝承館などで地図をもらった人達は、こちらから訪れるのかもしれない。
しかし、真壁氏の五輪塔に行った時に、その裏の空き地の向こうにこの神社が見えた。
そして、この寺の方から上る参道があった。昔はこちらから神社にお参りしたのだと思う。
小さな川が参道沿いに流れている。

こちらがその参道の一の鳥居です。周りを木々が覆っていて静かなひんやりした雰囲気です。

入口に掲げられた看板です。
千年の森というのはもうすぐ創建(1014年頃)されてから1000年が経つというので「千年の森の会」という組織があって活動されているようです(こちらのHP)

奥に二の鳥居が見えてきます。
この川沿いの道が昔の山道のメインだったと考えて良いでしょう。
神社の名前に滝がつくのですからこの川の滝が近くにあった場所なのではないかと思います。

二の鳥居です。
この神社は、武甕槌大神(たけみかつち)大山咋神(おおやまくひ)猿田彦神(さるたひこ)木花開耶姫(このはなさくやひめ)菅原道真公(すがわらみちざね)を祀っています。

この神社にはもう一つ三の鳥居があります。その奥に神社の拝殿が見えます。

神社拝殿の手前に川が横切っており神社の脇に清流が流れます。

この三の鳥居をくぐったところに「さざれ石」が置かれていました。

君が代のさざれ石というのはこんなものなのですね。

この斜めにつきだしている石柱は一番上に石の灯篭を吊るしています。

こちらは「百度石」と書かれており、数を数えるための輪がついていました。

拝殿には川を渡って行きますが、この橋には「長寿橋」と名が付けられていました。

川はこの上流の上曽峠の方から流れてくるのですが、少し上流に「分水嶺」の碑が建っていました。
こちらはあとで紹介します。
川をはさんで神社の休憩所のような建物が有り、緑の中で観光地に来たような感覚がします。

千年の森は森林浴の森でもあります。
神社の紹介は次回に続きます。
ここに来るまでこんな立派な神社があることを知らなかった。
神社の地図を見ると県道7号線から神社に入る道があって、真壁の伝承館などで地図をもらった人達は、こちらから訪れるのかもしれない。
しかし、真壁氏の五輪塔に行った時に、その裏の空き地の向こうにこの神社が見えた。
そして、この寺の方から上る参道があった。昔はこちらから神社にお参りしたのだと思う。
小さな川が参道沿いに流れている。

こちらがその参道の一の鳥居です。周りを木々が覆っていて静かなひんやりした雰囲気です。

入口に掲げられた看板です。
千年の森というのはもうすぐ創建(1014年頃)されてから1000年が経つというので「千年の森の会」という組織があって活動されているようです(こちらのHP)

奥に二の鳥居が見えてきます。
この川沿いの道が昔の山道のメインだったと考えて良いでしょう。
神社の名前に滝がつくのですからこの川の滝が近くにあった場所なのではないかと思います。

二の鳥居です。
この神社は、武甕槌大神(たけみかつち)大山咋神(おおやまくひ)猿田彦神(さるたひこ)木花開耶姫(このはなさくやひめ)菅原道真公(すがわらみちざね)を祀っています。

この神社にはもう一つ三の鳥居があります。その奥に神社の拝殿が見えます。

神社拝殿の手前に川が横切っており神社の脇に清流が流れます。

この三の鳥居をくぐったところに「さざれ石」が置かれていました。

君が代のさざれ石というのはこんなものなのですね。

この斜めにつきだしている石柱は一番上に石の灯篭を吊るしています。

こちらは「百度石」と書かれており、数を数えるための輪がついていました。

拝殿には川を渡って行きますが、この橋には「長寿橋」と名が付けられていました。

川はこの上流の上曽峠の方から流れてくるのですが、少し上流に「分水嶺」の碑が建っていました。
こちらはあとで紹介します。
川をはさんで神社の休憩所のような建物が有り、緑の中で観光地に来たような感覚がします。

千年の森は森林浴の森でもあります。
神社の紹介は次回に続きます。
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