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子供の頃-記憶

 今日は午前中に「ふるさと風」の会報の印刷。午後になってそれを石岡のまち蔵(丁子屋)に置きに行き、その足で、つくば市北条のふれあい館(田村家)に行きまた少し置かせてもらってきた。

ふれあい館で田村さんとお話をしていたら、紅茶をご馳走になってしまいました。
話は竜巻の話や、壊れた瓦で作った「竜の子ゴブリン」の見学もしてきました。

先日「いい旅・夢気分」(6月5日夜の放送)でここが紹介されたそうです。
そして、この私が座った場所に「新山千春さんと島谷ひとみさん」が座ったのだそうです。
あらま~です。

そして、その後に小町の里と土浦市民会館に寄ってきました。
結構遠いんですよね。車で行って帰ってくるまで1時間半くらいかかりましたね。


 さて、これからは子供の頃の話です。

人は幼かった頃のことをどの程度さかのぼって覚えているものなのだろうか?

私はもともと記憶力が良くなく、人の名前や顔なども覚えられずに、昔あった人などに声をかけられたりして思い出せずに困ることがよくある。


昔子供の頃に、母から「お前は赤ん坊の時こうだった。」などと言われることがあったが、「そんなこといわれても記憶にないよ」と思うのだが、それも何回もそう言われるとそんなこともあったかななんていう気になってくる。

人の脳の海馬の構造がどうなっているかは知らないが、繰り返しインプットされると記憶が本物になるのかもしれない。

私が生まれたのは新潟県小千谷市で雪深い場所だ。
しかし、2歳くらいの時に家族で横浜に引越した。
そのため、この小千谷で生活した記憶が全くない。

そのな中、小学校に上がる前の冬に横浜でも珍しく大雪が降った年があった。
ネットで調べてみたら昭和29年に東京でも大雪が降ったとあるのでこの年だと思う。
この時はまだ5歳くらいだったわけだが、この積もった雪道を歩いた記憶が結構鮮明に残っている。

もちろん5歳の頃を覚えているのは当たり前なのだが、この積もりたての雪の上に石ころか何かを落として、それがズブっと沈む感触が、昔同じことを経験したという感覚を覚えていたのだ。

それは当然横浜時代ではなく、新潟の雪に違いないのだ。

そして、その記憶が私の海馬に蓄積されて記憶となって刻み込まれている。

このため、幼い頃の自分の記憶がある人は、記憶を思い出す環境があって、きっとそのことをあとから思い出し、記憶の定着となるのではないだろうかと考えるのだが、どうだろうか?

まあ、「♪ 柱の傷はおととしの五月五日の背比べ ♪」などと何度も繰り返せば昔のことも忘れないのだろうと思う。

さて話は変わるが、梅雨に入ってなかなか雨が降らず、昨夜に少し降ったがそれもほんのお湿り程度。
今朝は寒いくらいだとおもったら、昼間は湿度も高く暑さもぶり返してきた。

家内は毎週土曜日にいわきの仮設住宅へにまだ行っているが、向こうは雨がだいぶ降ってこまったようだ。

原発の避難も長期化して年寄りも多いし、今後どうなるんだろうとまだまだ心配しているが、訪れる人はめっきり少なくなっているようだ。

今日は、急にまた暑くなってきたので家の中に「蠅」が出て飛び回った。それを「ハエたたき」でやっつけてやった。

たった一匹だが「五月蝿い(うるさい)」ものだ。
この五月蝿いというのは夏目漱石が書いたことが言葉の始めだそうだが、やはりこの五月は今の六月の梅雨(五月雨)のころなのだろう。

これで、急に昔の童話を思い出してしまった。

「一打ちで七匹」という爽快なお話だ。

昔読んだこんな話が大好きで、おおぼらふきの話だの、地獄耳の話などの話ばかりが載った本だった。
しかし、何という本だったかがわからず、また読みたいと思って東京の大きな書店を探したがわからなかったことがあった。

一打ちで七匹というのはある若い仕立て屋がうるさいハエを布で叩いたら1度に7匹もやっつけてしまった。
これは世の中に知らせなければと、「一打ち七つ」と刺繍した帯を腰に巻いて冒険の旅に出る話で、最後はお姫様を嫁にしてめでたしめでたしだったと思う。

小さなことにこだわらずに知恵と勇気で夢を実現することはいつの時代も子どもの心をワクワクさせてくれます。

ピーターパンも同じですよね。

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子供のころ | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/06/08 19:03
コメント
幼少の頃の記憶があるか?比較的良く覚えている気がしています。たとえば、母の田舎、富山の駅前で白い帽子を被り、夏の日をまぶしくみている…、しかし、これは写真に残っているので、後で何度もそれを見て記憶に焼き付いているのかもしれません。多くの場合、そのケースが多いようです。それらの写真も四散してしまいそうなので実家から回収してデジタル化しないといけません。
kincyan さん
> 幼少の頃の記憶があるか?比較的良く覚えている気がしています。
> たとえば、母の田舎、富山の駅前で白い帽子を被り、夏の日をまぶしくみている…、

私が幼かった時はまだ写真もほとんど家庭にはなかったんです。
ですから、写真は写真館で撮るもので、特別な時だけ。
戦後すぐは家もそんな余裕はなかったようで写真もありません。記憶もないのもそのためかもしれませんね。

> それらの写真も四散してしまいそうなので実家から回収してデジタル化しないといけません。

今はデジタル写真も多すぎて整理がつかない。保存容量も膨れるばかり。
これもまた困ったことですね。
コメントありがとうございます。

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