小見川に平良文をみる(1)-阿玉台貝塚

 千葉県香取市は佐原市と小見川町などが合併してできたが、香取神宮のある佐原は伊能忠敬と小江戸の街並みや水郷などがある観光地ともいえるが、この東側の旧小見川町はかなり趣が違うように思う。

この旧小見川の山側に入った高台に縄文時代の貝塚「阿玉台貝塚(あたまだい)」(国指定遺跡)があると言うので見に行った。

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阿玉台貝塚は明治27年に発見された縄文時代中期前半の貝塚だという。
美浦村の陸平(おかだいら)貝塚(縄文時代前期から後期)は明治12年に発掘されたのでその15年後ということになる。

しかし、訪れて見て驚いたのはその場所の標高の高さである。
標高は45~50m程あり、山の上といった感じの場所。
貝塚の層も標高で30~40mくらいの場所だそうだ。

陸平貝塚は標高20~30mで、浮島の広畑貝塚などは2~3mくらいしかない。
しかし時代的には同じようなものだと思う。

すると、縄文海進で海面がかなり高い時代もあったそうだが、こんなに違う物なのか。
それとも千葉の地形はせり上がったものなのか。

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この貝塚公園は民有地だそうで、整備もそれほど大掛かりには行われていない。
地元の方たちが保存会で頑張っていおられる様子。

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貝塚といっても、このような道が整備されているにすぎない。

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道を歩いていたら「夕顔観音塚」という看板が出ていた。かすれてよく読めない。

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千葉氏の祖である平良文の墓だと言われている場所だそうだ。

良文が何故この地にこのように出てくるのか少し不思議な感覚をおぼえた。

これは石岡で平国香が語られるのと似ているということか。

平良文(よしぶみ)は高望王の息子だが、国香などと違って側室の子であった。
そして父高望が坂東に下るときに(正室の子供を3人連れてきますが、この良文は側室の子でもありまだ幼かったので共に来ることはなかったのです。

それが坂東八平氏と呼ばれる関東平氏の祖となりあり、特にこの地を支配した千葉氏の祖とされる人物なのです。

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しかし、村岡五郎と呼ばれていたように関東では武蔵国村岡(埼玉県熊谷)に移り住んだと言われているが、この小見川にも館があったと言われているという。
または晩年にこちらに移り住んだとも。

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少し調べて次回以降に少し自分のメモとして残しておきたい。

平良文の法名は「夕顔観音大士」ということで、夕顔観音については次回以降の樹林寺などのところで説明を加えましょう。
(記事が長くなり少し疲れたので次回に続きます)

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小見川に平良文をみる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/07/03 20:49
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