小見川に平良文をみる(3)-樹林寺

 小見川駅方面から阿玉台貝塚を目指していく途中にこの白華山樹林寺がある。
入口に「夕顔観世音根本霊場」と書かれた大きな看板があり立寄った。

 平良文は天暦6年(952)に66歳でこの地で亡くなったとこの辺りでは語られているのですが、晩年は朝に咲いて華やかな桔梗(将門の愛妾の名)よりも、黄昏に匂う夕顔を愛したのだといいます。
そして、死に際して子の忠頼に「夕顔を割ってみよ。そこに私の化身があるはずだ」と遺言したと言う。

そして、実際にその後夕顔の実(瓢)から良文の化身として観音像が現われたと伝えられ、その後、亥鼻城を築いて実質的な千葉氏の基礎を固めたとされる千葉常重の代になって、大治元年(1126)に常重の夢枕に「祖、良文の念持仏である夕顔から出現した夕顔観世音菩薩を本尊を祀れ」とのお告げにより、この樹林寺を建立したという。

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この樹林寺は創建時は真言宗でしたが、臨済宗に変わったそうです。

この五郷内地区では「夕顔(干瓢)を食さない」という言い伝えがあるそうです。

この寺は紫陽花も有名らしいのですが、ここを訪れたのは5月の事でまだ咲いていませんでした。
紫陽花を「愛慈妻」と書いているとありました。そうですね。「妻を愛で慈しむ」と言うのもよいですね。

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本尊の夕顔観音は公開されていないために見ることができません。

明治4年に本堂が火災で焼けてしまいました。


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千葉にはこのほかに夕顔観音に関するいろいろな話が伝わっている。

葛飾区西水元の安福寺:
飯塚村の名主・関口治左衛門が自宅近くの老松の根元から夢のお告げにより観音像が出てきた。
この観音像は鎌倉時代の作とおもわれ、「夕顔観音」として堂宇を建てて祀った。
その後明治になって西水元の安福寺におかれるようになったという。

足立の瑞応寺:
 千葉介の千葉常胤の娘に夕顔姫がいた。この寺はこの夕顔姫の菩提をとむらうために建てられたという。
そして夕顔観音を本尊としている。

千葉常胤の羽衣伝説:
 天女の羽衣を見つけた武将、幾年か天女とともに暮らす。数年たち、天女は天上に戻る。が、武将がなくなったとき、天女地上に現れ、ともに天上の国に。そのとき、一粒の「夕顔」の種を落としていく。その種を拾った子供が種をまくと、すくすく育ち、中から観音さまが。「夕顔観音」と名付ける。この夕顔観音を護り本尊とした子供は大きくなり、立派な武将に成長。それが千葉常胤であるという伝説。

どうもこのような話を見ていくと千葉氏の本当の素性に何か隠されたものがあるのではないかと言う気がしてくる。考えすぎなのか?

側高神社にいって感じたことに近い感覚がある。
いろいろと調べていくうちに少しずつわかってくるのかもしれない。



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小見川に平良文をみる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/07/05 19:16
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