とりのこみち(1)

 「とりのこみち」というのは「鳥の小道」と言うことではない。

「鷲子道」のことだ。

私が今までこの栃木県との境にある鷲子(トリノコ)地区について何度か紹介してきた。

とても興味深い場所だと思っている。

最初に常陸国府中(常府)=石岡から北斗七星を目当てに真直ぐ北上するとこの辺りで少し高い山にぶつかる。

その途中に水戸の朝房山の麓で「木葉下(アボッケ)」という特別な名前の町を通る。

ここはアイヌ語研究の人たちからは「崖」を意味するポッケ、パッケにアやハがついたものだとか、そばにある大足(オオダラ)から製鉄跡や常陸国風土記に出てくる晡時臥(クレフシ)山がこの朝房山であるという説が有力なことなどから「朝房下(アサボウシタ)」などの言葉から起こったのかもしれないなどと言われる。

しかし、朝鮮半島南部の言葉で「焼き物を焼く人たちの里」というような意味ではないかともいわれる。

まあそれはそれとして、そのまま北上を続けると城里町の石塚で台地から低地の旧桂村に断崖から下に落ちるように道が続く。

下りた場所は那珂川流域の場所で圷(アクツ)という地名である。

そして少し行くと「粟(アワ)」「阿波山(アワヤマ)」という名前に不思議な感覚をおぼえる。
昔、那珂川は「粟川」と呼ばれていた。
また阿波山上神社は天からスクナヒコナが舞い降りたというご神木(今は落雷で焼失)がある。
この隣に親鸞は大山草庵を建てた。

そしてこの鷲子(とりのこ)地区につながる。

何があるのか。この不思議な感覚は?

前に書いた塙家住宅の別棟式の曲がり屋(こちら)は、この道にそって多くが存在すると言う。

これは沖縄、鹿児島から太平洋側、千葉県の九十九里近辺に多く存在し、内陸に入ってこの旧桂村、旧御前山村などに存在すると言う。
これは何を意味するのか?

山にぶつかったところがこの鷲子(とりのこ)地区であり、左に曲がれば栃木県の「馬頭」「(那須)烏山」に行く。右に行けばこれまた変った地名の「タバッコ峠」を越えて袋田の滝の道につながる。

この烏山や馬頭は大昔、朝鮮大陸より来た百済や高句麗などの人たちが住み、金などの採掘を行い奈良の大仏の建設時にここの金が大量に使われた。

蝦夷の人たちの逃げていったルートもこの辺りを通ったのではないか?
また坂上田村麻呂や八幡太郎義家の軍もこの辺りを通っていたのではないか?

そんなことを考えながらなんどこの道を行き来した事だろうか?(参照:アテルイの首のある鹿島神社

トリコノ和紙の名前も気になる。

さて、先日書いた「みわ(美和)道の駅」から、馬頭の方に行く街道に沿って少し南側に旧道がある。
この辺りの地図はあまり詳細に載っていないが、なんとなく趣のある通りだ。

川沿いに道と沿道に古い家並みもある。

「とりのこみち」という言葉から少し歩いてみた。

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明日はここに親鸞聖人の弟子(二十四輩)の建てたお寺があったのでこれを紹介します。

今までのこの近辺の記事をまとめています。(こちら)を参照下さい。


鷲子・美和・高部 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/07/13 19:44
コメント
No title
こんばんは
Romanさまには馬頭や烏山の事まで教えていただき勉強になりました。

馬頭の川では砂金が採れたそうで『ゆりがね』の言葉が残っているのは
聞いていました。
ご承知のように町の施設の温泉も其れにちなんで『ゆりがねの湯』とか
そば処の『ゆりがねの里』や『ゆりがねのやな』などです。

奈良の大仏様にも使われたとは知りませんでした。再認識いたしました。
ありがとうございました。
fimiさま
こんばんは。 お久しぶりです。

> Romanさまには馬頭や烏山の事まで教えていただき勉強になりました。

馬頭に興味を持ったのはfumiさんのおかげです。

金が採れたのは日本では本当に初めかもしれません。
金をとる技術を持った人がここに住んでいたのです。

でも当時は半島の方が進んでいたのですが、今の人たちはそれも知らないですよね。

ゆりがねの湯には一度行きました。また今度少し涼しくなったら行ってみたいです。
とてもよいところですよね。

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