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とりのこみち(4)-照願寺(1)

 親鸞の弟子二十四輩の寺として昨日まで紹介した十二番善念房の「善徳寺」を紹介しましたが、今日はそのすぐ近くにある「照願寺」を紹介します。

毘沙幢山無為院(びしゃどうざんむいいん)、二十四輩の十七番 念信房。

念信房は高沢伊加守氏信という高沢城主であった。
高沢城と言うのはこの鷲子(とりのこ)地区の栃木県との県境の山にあった城だという。「鳥の子館」ともいうそうだ。

新羅三郎義光の子、高沢伊賀守がこの城を築いたと言われるが、その子孫である高沢氏信は稲田の草庵に自ら親鸞を訪ね、教えを受け念信房勝渓という法名を賜った。

最初は那珂小舟の毘沙幢(びしゃどう)(旧緒川村小舟)に草庵を建てたが三世の1300年頃に春丸(同じ鷲子地区)に移り、第九世の時(1390年)に現在の鷲子の城崎に移っています。

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 この十七番の寺も2か所あり、江戸時代の元禄年代に分割されたようです。
もう一か所は千葉県いすみ市大原に本願寺派の寺院として同じ照願寺があります。

鷲子の照願寺の門のすぐ奥右側に古い桜の木があります。
この樹を「親鸞聖人 見返りの桜」と呼ばれています。(市指定文化財)

この地(最初に草庵を建てた小舟)を6度も訪れたという親鸞聖人。1228年に親鸞上人が訪れた時(56歳?)、来た時にはまだ桜も咲いていなかったのに翌日帰るときには時期が早いにもかかわらずこの桜が満開になったのだとか。

江戸時代に小舟からこの鷲子に移されたらしい。

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山門には「毘沙幢山」と掲げられています。最初に建てられた小舟の毘沙幢の名前を使っています。


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本堂。本尊の阿弥陀如来立像が置かれています。鎌倉時代後期から南北朝時代の作と考えられます。


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親鸞聖人行脚像「倶会一処」(くえいっしょ)と書かれています。

明日に続きます。



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親鸞と茨城 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/07/16 18:12
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