二人の唯信房(1)-幡谷の唯信(1)

 今日は土浦の県南生涯学習センターのアフターファイブサロンに出かけて今帰りました。
高浜の白菊酒造の広瀬専務さんのお話しでした。
テーマは「石岡の歴史と酒つくり?」

 私の撮った写真と記事が一部使っていただいたので、楽しみに行ってきました。
専務さんはまだ若い。肌のつやも素晴らしい。

素敵な酒造りのDVDは良かったね。これからもがんばって下さいね。

あっ、それから石岡の歴史や府中六井の説明は中途半端でした。
まだ自分のものにこなされていません。

若いのでこれから益々良いお仕事を期待しています。


 さて、親鸞聖人の二十四輩の寺を少し紹介してきたので、続けて他の寺も少しだけ紹介します。

親鸞聖人の弟子二十四輩の二十二番と二十三番は共に「唯信房」と言います。

二十二番は「戸森の唯信」で二十三番は「幡谷の唯信」と呼ばれています。

まずは二十三番の唯信房の寺である水戸の歴史観近くにある「信願寺」です。

この唯信は「幡谷(はたや)の唯信(ゆいしん)」です。

幡谷と言うのは石岡の近く小川町入口にある幡谷のことです。

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水戸の歴史観のすぐ隣のようなところです。

この寺には、創建は貞永元年(1232)に幡谷に創建され、延宝9年(1681)に現在地に移ってきました。

本尊の鍍金仏は鎌倉時代に制作されたと推定される仏像で像高46.7㎝、銅造、鍍金、長野善光寺本尊を模した善光寺式像の中尊とされ昭和29年に茨城県指定重要文化財に指定されています。(茨城県水戸市観光・旅行見所ナビより)

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ここにおかれている親鸞像は他のものと少し違います。

親鸞は罪人として流された越後国より、罪を許されたのちに常陸国にて布教活動を行いました。

この像は親鸞と妻の惠信尼、息子の信蓮房(明信)という家族の銅像です。
越後から常陸へと旅をして来た、親鸞一家の姿として描いています。

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しかしこの像の下には次のように書かれた銅板が取り付けられています。

「むかし野に聖あり。公家をすてて仏道をもとめる。
山上に心月を仰がれずして、救いを慈悲の精舎に祈る。
生と死のいづべき道をききて、俗と僧をこえて凡人となる。
暴力には、慈悲の心をもて向う。
心暗きものに智恵の道を示す。
乏しきに交わりて心豊かに、力なき人民とともに生きる。
その心太陽のごとく、そのあたたかさ、母のごとし。
悪しき心の性を人に見づして、自からの暗の深きを恥じ入る。
その子に背かれ妻に別れ、市辺の一隅にあって真実を書く。
濁り多き世に生きる。
濁りなき世の来らん日のために、自ら燃えつくした人。
野の聖、親鸞という。

京都山科にて。高下恵証。」

親鸞は越後で妻「恵信尼(えしんに)」と結婚し、4男3女をもうけた。

息子信蓮房は越後で生まれ、常陸国に来た時は3歳くらいだっと思われます。

今日は時間がないので明日にもう少し続きます。

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親鸞と茨城 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/07/18 21:59
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