二人の唯信房(4)-戸森の唯信(2)

 戸森の唯信(親鸞弟子二十四輩の二十二番)について調べた内容を書いています。

この唯信は、宍戸四郎知家の三男山城守義治だといいます。

前に小田城跡の小田氏・八田氏の事を書きました(こちら

また北条散歩では八田氏(八田知家)の事も書きました(こちら

この常陸国守護であった八田知家が宍戸に移って宍戸氏を名乗り宍戸氏が始まったのです。

富士の麓で繰り広げられた曽我兄弟の仇討事件。これにまつわり、源頼朝の重鎮でもあった八田知家が常陸大掾職(当時は今のつくば市北条の多気城に住んでいた多気(平)大掾こと多気太郎を陥れ、大掾氏(平・多気)氏が滅び、大掾職がこの小田氏系列の八田知家に渡っていたかもしれない状況だったのです。

実際は水戸の吉田氏(馬場氏)が大掾職に就きました。

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この八田知家の三男がこの戸森の唯信だと言うのです。

この時代に若くして親鸞を訪ね、その教えに従っていつも付いて回っていたようです。
弟子となったのは22歳だというので、他のお弟子さんよりはかなり若いです。

そして、常陸国の北の奥の方まで布教に訪れます。(76歳で亡くなった)

そんな奥州の外森(戸森)に布教のための道場のようなこの唯信寺を建立したのです。

でもこの外森(戸森)が何処なのかは判明していないようです。

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上の写真はスタジイの古木。推定樹齢500年です。


小田氏、八田氏、宍戸氏はみな同族ですが、新善光寺を信仰していました。
日本最古の仏像と言う長野の善光寺仏(三尊)を信仰していたと思われます。

石岡の善光寺のもうその屋根が崩れそうになった本堂の裏手に小田氏の五輪塔がずらりと並んでいます。

石岡ではこれをあまり大事にしません。
楼門のみが文化財として指定され、歴史が泣いているように思います。

宍戸にあった新善光寺は宍戸知家の子供が建立したとされ、この信仰がかなり厚かったが、宍戸氏が佐竹氏の傘下に組みせられて、海老ヶ島城(筑西市)に移されたときにこの新善光寺も移されています。

新善光寺信仰とこの親鸞の教えが当時どのような関係にあったかは知りませんが、興味を引きます。

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鐘楼

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さて、この唯信寺の隣に「光明寺」という浄土宗の寺がありました。
唯信寺とは隣り合っていて一帯のような感じです。

こちらの寺も入口にしだれ桜が植えられています。

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親鸞と茨城 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/07/24 19:18
コメント
No title
こんばんは!

恥ずかしながら…
戸森の唯信の事を初めて知ったので、興味深かったです
椎の木の大木も迫力あって、実際に見たいと思いました☆

先週、潮来に宿泊して、鹿島⇒神栖⇒香取(佐原)巡りしました。
夜は寒くて寒くて、大変な思いをしました(>_<)

今度、行く時はゆっくりと色んなところを周ってみたいです☆


かるがも@さん
コメントありがとうございます。

> 恥ずかしながら…
> 戸森の唯信の事を初めて知ったので、興味深かったです

私も初めてですよ。有名ではないしほとんど知られていないと思います。
親鸞でさえ少し前には存在していなかったなどとの説がでたのですから。

> 椎の木の大木も迫力あって、実際に見たいと思いました☆

こちらの山の方には大きなスタジイの古木がかなりあります。
古い神社を廻っているとよく見かけます。

> 先週、潮来に宿泊して、鹿島⇒神栖⇒香取(佐原)巡りしました。

東国三社に行かれたそうですが交通が不便で大変だったでしょうね。
車で来られたのですか?


潮来では長勝寺には行かれなかったですか。
またゆっくり来て下さい。

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