笠間歴史民俗資料館(宍戸)-2

笠間市立歴史民俗資料館の記事の続きです。

この宍戸は筑波の麓の小田氏とは同族で八田知家の子供が宍戸に住んで宍戸氏を名乗ったのが始まりだと思いますが広島で毛利元就が勢力を拡大する原動力ともなった安芸宍戸氏もここから発生している。

この八田知家については諸説があり、ここ宍戸に伝わる話なども面白そうだ。

あまり詳しくはわからないが鎌倉御家人として特別な待遇を受けていたようなので、また後日まとめてみたい。

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この資料館が開いているのかよくわからなかったが、横の扉を開けて中に入ると、入口正面にスリッパがたくさん並べられた下足棚が並んでいた。

左手に管理事務室があり、ノートに記帳して、見学の許可をいただき、2階までの電気をつけてもらった。

管理事務室の方に写真撮影の許可をいただいたので、内容を少しUPしておきます。

上の写真は高寺古墳群(円墳8基)(7世紀前半?)で発掘された鉄製の剣など。
この古墳の場所は前に「茨城」の名前発祥の地ではないかと書いた「小原神社」の少し西側です。

小原神社などと共に考えると、なかなか興味深いですね。石岡の茨城廃寺(茨城寺)は7世紀後半です。

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この地方も製糸業や養蚕が盛んだったのでしょうか、農機具と共に綿などを紡ぐ道具などが展示されています。

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この水戸線と常磐線の開通年代については前に正岡子規が書いた「水戸紀行」の記述を紹介していますが、正岡子規は歩いて水戸まで行き、帰りはこの水戸線に乗って帰っています。

当時の状況を知るにはとても参考になります。

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こちらは花嫁道具として持って来て保存されていたもののようです。江戸時代後半から明治の頃でしょうか?

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こちらは江戸時代の「箱枕」と当時の「ひな人形」です。
石岡にも同じようなひな人形が蔵から出てきて、ひな祭りの時に展示していました。
似た姿をしていると思います。

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こちらはたくさんの種類の薬をいれておくタンスで薬屋さんにおかれていました。
ここには「百目たんす」と書かれていますが、辞書を引くと「百味(ひゃくみ)箪笥」が正しいようです。

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こちらは手鏡です。江戸時代のものでしょうか。

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江戸時代の長持ちなどです。この金びつには葵の御紋がついています。

この宍戸は徳川光圀の弟である松平頼雄が1万石で入りましたが、ここには城を持たず陣屋しかありませんでした。

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展示室の1部屋に「宍戸焼き」のコーナーがありました。

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説明には「貧乏徳利」と命名されていました。
酒を買うのに升で量って量り売りで購入したそうです。大量に買えないので少しずつ徳利に入れてもらうのだそうです。

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宍戸周辺 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/07/27 18:26
コメント
百目だんす
美しい姿ですねえ。
どこかの博物館で私も見たことがあった気がしましたが、ああ、こんに美しかったかしら。
ああ、そうです、武蔵小金井の「東京江戸たてもの園」
の「三省堂」という文具屋さんが筆を各サイズで
壁中が引き出しになっていて、こんな感じでした。
当時の姿そのまま感が凄く好きです。
お晩です<Romanさん、またお邪魔します。
kozoh55 さん
いつもありがとうございます。

このような壁たんすや階段のスペースに作ったタンスなども良くありましたね。
これは薬屋さんがつかったので百味タンスだと言いますが、
目がたくさんあるように見えるので百目タンスでもいいように思います。

> どこかの博物館で私も見たことがあった気がしましたが、ああ、こんに美しかったかしら。
> ああ、そうです、武蔵小金井の「東京江戸たてもの園」の「三省堂」という文具屋さんが筆を各サイズで
> 壁中が引き出しになっていて、こんな感じでした。

そうですか。今度行ってみたいと思います。神田の三省堂を移築したんですね。

kozoh55さんの前の記事写真をもう一度見てみました。
確かにいいですね。

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