国のまほら

この「まほらに吹く風に乗って」というブログもいよいよ今日から4年目のスタートです。
またこのまほらの地を訪ねながらそこに吹く風の香りをお届けできればと思います。

少しだけご挨拶させてくださいね。まほらという言葉についてです。

「まほら」というのはあまり使われる言葉ではないですよね。一般には「まほろば」「まほろま」などの方がつかわれる場合が多いですね。
4年目のスタートにと思ってこのテーマで気がついたことなどを記事に綴ってみたいと思います。

でも今日も暑くてなかなか記事に取り掛かれませんでした。先ほどから雷が鳴り雨も降ってきたのですが今は少し落ち着いてきました。

  倭(やまと)は 国のまほろば

  たたなづく 青垣

  山隠れる 倭(やまと)しうるはし

この歌が最も有名でしょうか?

これは古事記に書かれている倭建命の歌とされています。
もちろん古事記では倭建命と書きますが、日本書紀などでは「日本武尊」とかかれている伝説の英雄「ヤマトタケル」のことです。

この人物が実在の人物かどうかは解釈が分かれますが、架空の人物と見る方が自然です。

上の歌も大和朝廷の治める地(主に大和地方?)が素晴らしい場所であると言っているのでしょう。

同じような歌はその他にもあります。

山上憶良が万葉集に載せた「迷える情を反さしむる歌」というのがあります。

  父母を 見れば貴し 妻子(めこ)見れば めぐし愛し
  遁ろえぬ 兄弟(はらから)親族(うがら) 遁ろえぬ 老いみ幼(いとけ)み
  朋友(ともかき)の 言問ひ交はす 世の中は かくぞことわり
  もち鳥の かからはしもよ 早川の ゆくへ知らねば
  穿沓(うけぐつ)を 脱き棄るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は
  石木より 成りてし人か 汝が名告(の)らさね
  天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大王います
  この照らす 日月の下は 天雲の 向伏(むかふ)す極み
  蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極み 聞こし食(を)す 国のまほらぞ
  かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか (万葉集 800)

これは、この時代(8世紀初め?)に大和朝廷の意向をもう大切にしない人々が増えていて、これを嘆いて詠んだのではないかと思われます。

「蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極み 聞こし食(を)す 国のまほらぞ」

この意味は、「ヒキガエルが這い回る地の果てまで、天皇のお治めになるすぐれた国土だ」という意味です。
中国の唐に渡って儒教の思想を強めていた山上憶良は親子や国家の情を大切に思っていたのでしょう。

こららは大和というのは日本の事だったり、大和地方(奈良)の事だったりしていますが、この常陸国はどうなのでしょうか?

実は、縄文人の住んでいた霞ヶ浦周辺や筑波山周辺は、大和朝廷が成立した初期の段階ではそれ程素晴らしい所だとは思われていなかったのかもしれません。

日本書紀ではこの辺りの土地はまだ「日高見国」と言われていたようです。

景行天皇27年に、この地を探査して都に帰った武内宿禰は 「東の夷の中、日高見国がある。其の国の人は男も女も身に入れ墨をし、人となりは勇敢である。また、土地は肥沃で広大である。征服してとるべきだ。」 と報告しています。

こんな言葉を日本書紀に残したのは、その他の歴史を消し去ってしまったその後の権力者たちとしてはミスだったのかもしれませんね。
そうでなければこの蝦夷人たちとの争いが文章としてあまりにも残っていないですから。

これにより大和朝廷から蝦夷征伐に軍人が送られます。
その中の一人の英雄としてヤマトタケルは作られた人物像(景行天皇の皇子)だと思われます。

大和朝廷の圧倒的な武器や人数によりこの地で数万年にもわたって仲良く暮らしていた現地人(暮らしは非文明?)は次第にそれらの軍人たちの云う事を聞いたり、さらに北へ逃げていったりしたのでしょう。

逆らって奴隷となった人びとは佐伯といわれ、奈良の都や四国の方に送られて労働を強いられました。

さて、制圧され、大和朝廷の仲間入りを果たした常陸国も次第に中国をまねた律令制の中央集権的な一翼を担うようになり、まだ朝廷に逆らっていた東北の蝦夷征伐の拠点になって行きました。

いくら制圧されたとはいえ、大和朝廷のもたらす文化は素晴らしく、人びとは喜んで受け入れていったのでしょう。
そしてこの地にも文化が開けてきます。

藤原不比等の三男であった藤原宇合(うまかい)が常陸国国守として都より赴任してきたのは西暦719年です。
この時はまだ東北地方の蝦夷とは争いが絶えませんでした。

不比等はこの重要な任務を遣唐使として唐から帰った息子「宇合」に託したのです。
そしてそこに「高橋虫麻呂」という優秀な人物を共に遣わしたのです。

そしてこの2人の人物を中心にして、この国の言い伝えなどをまとめた「常陸国風土記」が編纂されました。

この2人は常陸国国府であるこの石岡に赴任しているのですが、この地に来てすぐに、この地がかなり気に入ったようです。

まあはっきりはわかりませんが、風土記などの書かれている文体を追っていくとそのように感じます。

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(クリックすると大きな写真になります)
夕闇に沈んでいく町。(土浦方面)

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(クリックすると大きくなります)
この日は女体山の神様がご機嫌が悪く、山頂に雲がかかりました。左側の山頂は筑波の男体山。


この高橋虫麻呂が筑波山を詠んだ歌が万葉集に数多く載っています。

さて、「まほら」という言葉が出てくるものを探してみました。

衣手の 常陸の国の ふたなみの 筑波の山を 見まくほり 君来ませりと あつけきに 汗かきなげき 木の根取り うそむき登り をの上を 君に見すれば 男(お)の神も 許し賜へり 女(め)の神も ちはひ給ひて 時と無く 雲井雨ふる 筑波嶺を 清(さや)に照らして 言ふかりし 国のまほらを つばらかに 示し賜へば うれしみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ 打ち靡く 春みましゆは 夏草の 茂くは有れど 今日の楽しさ
(万葉集 九雑歌)
(原文:衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君来座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 <峯>上乎 <公>尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曽遊 打靡 春見麻之従者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者)

さて、この歌の解釈はいろいろありますね。

もっとも一般的なのが、この歌の題詞に「検税使大伴卿(おおとものまえつきみ)が筑波山に登った時の歌一首[ならびに短歌]」と書かれているので、検税使大伴卿=大伴旅人 がこの地を訪れ(西暦722~3年頃?)、こんな会話がされたのではないかと思われます。

旅人:「やっと念願の常陸の国に来れました。筑波山は都でもとても素晴らしい山と伝わっています。ここから見る常世の国の景色を是非見たいのです。」

虫麻呂:「それは、それは、本当に良いところですよ。春にも上っていますが、今は夏で少し登るのも暑くて大変ですが、一緒に登りましょう」

こんな会話の結果、

「木の根っこを捕まえたりしてやっとのことで頂上(女体山)にたどりついたのです。
そうすると、男体山の神も女体山の神もご機嫌が良く、天気に恵まれ、はるかの山並みも、また麓に広がる平野や霞ヶ浦(流れ海)も本当に常世の国のように見てとれて、二人して感激したのです。

そして、暑いので着物のひもを緩め、肌もはだけてさせて家にいる様にくつろげて本当に良い1日だった」

ということだと言います。でも本当はそれだけではなさそうですね。

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(クリックで拡大します)

当時、男女の恋愛も自由なところがありました。この筑波山でも春秋には決まった日に男女が集まって歌の掛け合いをやり、気に行った男女が結ばれていったようです。

歌垣とか嬥歌(かがい)という行事が、定期的に行われていたのです。

高橋虫麻呂はこんな歌を読んでいます。

<筑波嶺に登りて嬥歌会かがひをする日に作る歌一首 并せて短歌>

鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上へに 率(あども)ひて 娘子壮士(をとめをとこ)の 行き集ひ かがふ嬥歌(かがひ)に 人妻(ひとづま)に 我わも交はらむ 我(わが)妻に 人も言問(ことと)へ この山を うしはく神の 昔より いさめぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな(9-1759)

反歌

男神(をのかみ)に雲立ちのぼり時雨ふり濡れ通るとも我帰らめや(9-1760)

特に訳は載せません。こんな自由なものであっていいのか?? などとも思いますが、当時の風習を考えればとても健全なものだったのでしょうね。今では考えられませんが・・・

春に来た時より夏草が伸びていて大変だったなどと何故書いたのでしょうね?

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(クリックで拡大します)恋瀬川から朝霧に立つ筑波山の景色


藤原宇合が常陸国守を退いて都に帰ったのは西暦724年とされていますので、この地にいたのは5年位だったのでしょうか。
この宇合が都に帰る時にこの地で仲良くなった「常陸娘子(ひたちおとめ)」が詠んだ歌があります。

  ★  庭に立つ 麻手刈り干し 布さらす 東女を 忘れたまふな

この歌の碑が石岡小学校の敷地内の「常陸国府跡」の碑の隣におかれています。

またこれからもこんな「国のまほらをつばらかに」していきましょうか。

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あいさつ | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/08/11 19:31
コメント
No title
Romanさんおはようございます

四年目スタートで、まさに継続は力です すばらしいです。

>「まほら」という言葉が出てくるものを探してみました。
オタク的な有名どころでは「まほろまてぃっく」つうアニメもあります、
たはは困った( ̄▽ ̄*)

筑波を詠んだうたがこんなにあるの知りませんです、恥ずかしい、
唯一知ってるのは百人一首の「筑波ねの峰よりおつる」だけです
やっぱ筑波には色っぽいのがいいかもです。

筑波の写真いいですね、空気感が伝わります、
神社の写真も時々構図考えてるなあなんて感心したりします。

以上、歯くそにもならないことですが・・・(;´д`)
kurokenさん
コメントありがとうございます。

> 四年目スタートで、まさに継続は力です すばらしいです。

ありがとうございます。このブログに最初にリンクを貼ってくれたのがkurokenさんでしたね。
しっかり覚えています。12月のことなので開設後4カ月経っていました。

その後いろいろ教えてもらいました。
特に写真は。まあ教え甲斐のない平凡な写真を撮っていますが、これもそれぞれのスタイルとあきらめて下さい。(笑)


> オタク的な有名どころでは「まほろまてぃっく」つうアニメもあります、

いや~ 全く知りません・・・・。

> 唯一知ってるのは百人一首の「筑波ねの峰よりおつる」だけです
> やっぱ筑波には色っぽいのがいいかもです。

私もこんなものでしたが、これも解釈によってかなり違うんですね。
男女川なんて相撲取りもいました。
でも本来はニナの川だって言うのもありました。

> 筑波の写真いいですね、空気感が伝わります、
> 神社の写真も時々構図考えてるなあなんて感心したりします。

少し、kuroken効果が出ていますかね。これからもよろしくお願いします。

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