鹿島神宮(6)-鹿苑と東雄桜

 鹿島神宮の本殿前を過ぎて奥宮に向かう参道の中間の左手に「鹿苑」右側に「東雄桜」への入口石碑がある。

鹿島神宮は鹿と書くように鹿を神格化し大切にしている。

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この鹿島の森の参道を200m程進んだところに鹿苑がある。

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この鹿苑には30頭近くの鹿が飼育されているという。最初は数頭が見えていたが、帰りに寄った時は10頭以上が出てきていた。

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ここの鹿は奈良のように外に出てきてはいないが、人懐こそうにヘンスに近づくと寄って来た。

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ここに書かれているように奈良公園の鹿はここから運ばれたと思われる。

この鹿島神宮の神官でもあった中臣氏(中臣の名前は神と人の間を取りもつ?)は阿波の忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった重要な豪族であった。

藤原氏の祖である中臣鎌足本人がが鹿島地方の出身であったかどうかははっきりしないが、中臣家にとってはこの鹿島神宮はとても重要な神社であった。

そのため、この神宮の摂社の一つである「坂戸神社」は中冨氏の祖と言割れている「天児屋命(あめのこやねのみこと)」を祀っている。

この辺りの事はもう少し調べたり実際に訪れてみないとイメージもわかないのでまた後で書けたらと思う。

中臣鎌足(藤原鎌足)の子「藤原不比等」が藤原家の象徴として奈良の春日大社を建てたが、鹿島神宮の祭神である武甕槌(タケミカヅチ)が白鹿に乗って春日山に舞い降りたとされる(768年)。

鹿島は昔は香島と書いていたが、常陸風土記の中では香島の大神として表記されている以外はこのころにはすでに「鹿島」と書かれているものも多くこれが中国での白鹿信仰ともつながっているのだろう。

また、「春日大社の創建」の時(767年)には、白い神鹿(しんろく)の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて1年かけて奈良まで行った伝えられています。

この鹿の移動は陸路で送られたようです。鹿島神宮の上の写真の説明板によれば、鹿の足跡が、東京江戸川区の鹿骨をはじめとして、東海道を三重県の名張まで続いて残っていると書かれています。

この鹿島の神鹿は長い歴史の間に何度か新たに導入されており、現在飼われているのは奈良の神鹿の系統を受けていると書かれています。

また、春日大社側の記録によると、948年に常陸国府(現石岡市)より鹿7頭が春日大社へ送られています。

春日大社の鹿も長い年月の間に絶滅の危機もありましたが、その時代ごとに、鹿の保護に力が入れられてきました。

しかし、鹿島の鹿は絶滅の危機が訪れ、春日大社の鹿を譲り受けて現在に至ったようです。

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君が代に出てくる「さざれ石」です。

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石岡の周りでも何度か書いていますが親鸞聖人は稲田の草庵からよく鹿島神宮に来たと言われています。
その頃には中国の経典や、いろいろな書物などはここに来ればある程度読む事が出来たのでしょう。

このあたりでも「経塚」(参考:こちら)があったようです。
小石に「阿弥陀経・無量寿経・観無量寿経」の全二万六千六百字あまりを一字づつ書いて埋めたのでしょう。

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鹿苑から奥宮へ向かう途中に「熱田社」(境内社)が祀られていました。

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参道の奥宮に向かって左手に鹿苑がありますが、反対の右手の森に分け入っていく細い道の入口に「東雄桜」の石碑がおかれています。
しかし、これに気がつく人はほとんどいないと思います。
字はかすれほとんど読めません。

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奥宮から要石のある方向に進むと森の中の広い道が横切っています。
その案内板に右方向に「東雄桜(あずまおさくら)200m」の案内があります。

東雄は石岡の人は少し知っていても、一般にはあまり知る人が少ないでしょう。

佐久良東雄については前に書いた記事( 生家)を参照下さい。


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東雄は土浦の豪商色川三中とともにここの鹿島神宮に詣でて桜の木を1000本寄進している。

でもどこにも桜の木が見当たらない。
また復元するために植えているらしいのだが・・・

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鹿島神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/08/21 20:47
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