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鹿島神宮(12)-沼尾神社

 香島の大神は摂社である「沼尾神社」と「坂戸神社」を抜きには考えられないようです。
私が鹿島神宮を紹介するのも3~4回くらいで終わる予定でしたが、さすがに常陸国一の宮です。

1300年前に書かれた常陸国風土記の信太郡のところに、

「榎の浦の津は、東海道常陸路の入り口で、駅家が置かれてゐる。伝駅使(はゆまづかひ)らは、この地に着くと、まづ口と手を洗ひ、東に向き直って香島の大神を遥拝し、そののちに国に入ることができる」

と書かれています。

それは、当時の都からの使者たちは常陸国の入り口で身を清めて、鹿島神宮の方に向かって遙拝したのです。
ですからこの神社が常陸国の中では特別な神社と長い間思われ、慕われで来たのです。

武人の神ではありますが、日本建国の立役者でもあったのです。

私はこの地に平和に暮らしていたであろう縄文人たちを追い出したり、征伐したり、捕えたりした行為そのものは胡麻化そうが好きではありません。

この鹿島神宮の祭神「タケミカヅチ」がどのような人物だったのかが良くわかりません。
常陸国風土記に出てくるのはこれより少し時代が後と思われる「タケカシマ=建借間命」です。

建借間命は常陸国北部の蝦夷達を征服した人物です。そして那珂(仲)国造になっています。

この辺はまたの機会にして、沼尾神社から紹介していきましょう。

この沼尾神社は香取神宮の祭神である「経津主(ふつぬし)神」です。

鹿島郡は北の仲(那珂)郡から5里と南の兎上(海上)郡から1里を割いて作られたと書かれています。

物部の神である経津主は藤原氏が台頭してきていつの間にか表舞台から姿を消していきました。

しかし、中臣氏の氏神は坂戸神社に祭られている「天児屋命(あめのこやねのみこと)」ですから、この沼尾神社が坂戸神社よりも北側にあるのはどういうことなのでしょうか?

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この沼尾神社は鹿島神宮から臨海鹿島大洗線の線路にほぼ沿って約3.5kmくらい北にあります。途中に鹿島サッカースタジアムが見えます。

鹿島さくら園という幼稚園の脇をはいって突きあたりです。

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このあたりは鬱蒼とした樹は上の方で絡まるように伸びており、神社のパワーを大いに高めています。

夜にでも一人で訪れたら何か妖怪でも上から降ってきそうです。

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この沼尾の樹叢は物凄くパワーを貯めています。
木々の中の道を進むと木の鳥居と神社が見えてきます。

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社殿の上もこのの樹叢から枝がくねくねとのびて天を覆い隠すようにしていました。

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この本殿は元は鹿島神宮の奥宮にあった本宮の建物を移したとなっていましたが、この前の建物は昭和10年代に破壊されたようです。
今の本殿・社殿はその後に再建された新しいものだそうです。

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鹿島神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/09/01 18:11
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