四角地蔵尊

 石岡市のダイダラボッチの里を散策しているとなぜか懐かしくなる風情が多く残っている。
もちろん街角に大人形(ダイダラボッチ)を飾る風習は独特のもので、独特の文化が脈々と続いているのも珍しい。(こちら

藁でできた大人形を飾る風習は各地にもあると言う。
特に秋田の南部や千葉の君津で「鹿島様」と呼ばれる人形が知られている。

何故「鹿島様」と呼ばれるのかは定説はないが、鹿島神宮の蝦夷征伐(統一)とかかわっているものだと思う。
秋田も佐竹氏が常陸から行ったので「鹿島」だと言う説が書かれてもいたが、この秋田南部の鹿島様を見ているともう少し土着した文化が伝わってくる。

秋田から佐竹氏の入れ替わって常陸国宍戸にやってきた「秋田氏」は数年で福島県三春に移転となったが、ここの田んぼに天狗の土面を作って田植えをやったという風習があった。(記事こちら

この秋田氏は蝦夷(アテルイたち)の末裔である安倍貞任の後裔を称した安東氏の後身であるといわれている。
平安時代頃はまだ歴史的に残されている物はほとんど貴族たちの世界でしかない。

農民・庶民の感情がどうなっていたのかはあまり分からない。

大人形が鹿島様と呼ばれるのがどのような気持ちが込められているのか?
石岡のダイダラボッチ(地元では大人形と読んでいるようだ)人形は流行病の侵入を防ぐ厄除けの意味合いが強いと言うが、農民芸能の一つと考えてみたい。

さて、話は石岡のダイダラボッチの里に十字路(ほとんどただの曲がり角)の角に「四角地蔵堂」がある。
この字を何と読むのかは知らないが「しかく」ではなく「よつかど」だろう。

どこの田舎道でも昔は道のわかれ道などにはお地蔵さんなどがおかれていた。
あの地蔵さんのところを右に曲がって、などと目印になったのだろう。

そんな名前の地蔵堂だ。

IMG_8317s.jpg

IMG_8321s.jpg

石岡や高浜方面からこちらに来るとまず代田地区で「ダイダラボッチ」が町の見張りに立っている。
そのまま進むと次の曲がり角にこの地蔵堂がある。

右に曲がると立派な阿弥陀堂を持つ「盛賢寺」がある。

その他のダイダラボッチ人形はこの道を曲がらずにもう少し先に進んだ場所にある。

IMG_8318s.jpg

昔からこの場所で見守ってきた地蔵さんはどんな物語をしてくれるのでしょうか。

IMG_8320s.jpg

地蔵堂の中には木箱に入れられた大切な地蔵尊が格納されているのでしょうか。

IMG_8319s.jpg

木仏なのかもしれませんね。

あまり見る人もいないのでしょうが、何か語りかけてきそうで面白いですね。

この少し先にやはり大人形を飾る「古酒」と書いて「フルサキ」と読む地名があります。

縄文語の研究などをされる人にはきっと興味深い地名なのではないでしょうか?

「古=ふる=hur=丘、酒=さき=san-ke=サカ(坂)のところ 」だと言います。
そんなものかなと思うとそう思えてくるんですね。

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 茨城県情報へ  ← よろしければクリックお願いします。

ダイダラボッチの里 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/09/07 22:28
コメント

管理者のみに表示