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那賀鹿島神社

 栃木県馬頭の先から水戸に流れる大きな川「那珂川」がある。

川はかなり大きな川で流れはところどころ大きく蛇行して流れており、「なか」というのは蛇のことだとか龍のことだなどと言う人もいます。

御前山でこの那珂川にかかる那珂川大橋(桂大橋)(まえに御前山まんじゅうを買った(記事はこちら))を渡りそのまま北上すると「緒川」という街に出る。

この町に入る手前に「鹿島神社」と書かれた神社が通り沿いにある。
何度か通りすぎていたのだが、少し気になって車を停めて見て来た。

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通り沿いに赤い鳥居が目につく。横にはこの地域の公民館らしき建物が建っている。
神社の入口には大きな看板で「村社・鹿島神社」と書かれている。

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鹿島神社と言うのはこの辺りにもたくさんあり、珍しいものでもないが、村社とあり、その奥に「常陸大宮市大宮市指定有形文化財 那賀鹿島神社本殿」という立て札が立てられていた。

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こういう神社はどのように紹介してよいかわからないので、いろいろな角度からネットを漁ったりして調べて見る。

そうするとおもしろいことが見えてきたりする。
ここは特に昔の屋敷がありそうなところでもないし、何か気にはなるが何もないのではないかと思っていた。
しかしどっこい色々隠れたものが見えてきた。

鹿島神宮を調べていたときだったのでなおさら興味が湧いてきた。
またもう少し調べて書くことになるかもしれない。

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こちらが鹿島神社本殿です。常陸大宮市(旧緒川村)の有形文化財です。

これは調べると市の観光協会のガイドでは
「平安時代に、当時の豪族である那賀太郎藤原通資が鹿島大神を崇拝して城の東方に建立した。」
と書かれていました。また別なサイトには
「江戸時代の元和6年(1620)に社殿の大造営が行われ、この時につくられた本殿四方の彫刻は、日光東照宮を造営した彫刻師によるものと伝えられています。」
と書かれていました。

どうですか、通り越して見過ごすには惜しい本殿と彫刻ですよね。

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でも調べても神社についてはこれ以上良くわかりません。

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でもこの「那賀」という地名と那賀太郎藤原・・・と言う名前がとても気になるんです。

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そこで、この那賀太郎藤原通資を調べて見ると、これが面白そうなんです。

「那賀」は「なか」と読みます。「なが」ではありません。

この那賀太郎藤原通資という人物は「藤原秀郷」(ムカデ退治で名をはせた俵藤太というよりは平将門をやっつけた方が有名か?)の子孫が久慈郡太田郷に着任し、その子の通直が那珂東郡川辺郷に住み、さらにその子、藤原通資がこの那珂郡那珂郷に住し、那珂氏(那賀氏)を名乗ったのだそうだ。その後230年間この地を支配したという。

この那賀氏の城(那賀城)がこの神社の通りの反対側の少し山の方にあったのだそうだ。(1150年頃)

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那賀城はこの家の奥の山の方でしょう。
この一帯が那賀氏が支配していた所で、この場所はその中心にあるようです。

特におもしろいと思ったのはこの「那賀」という地名なのです。
那賀氏(那珂氏)と言うのがこんな場所だったのかという驚きとともに「那珂川」というのは何処から名前がついたのだろうかという興味が湧いて来たのです。

昔の勝田とその東側一帯はいまでは「ひたちなか市」となりました。
これはその西側に「那珂町」という地域があって混同しやすいので平仮名になったのだと勝手に解釈していますが、すべて那珂川から地名が採られているように思います。

この那珂川の上流の栃木県には「那珂川町」と言うところがあります。馬頭町も合併してこの那珂川町に入りました。

それ程この「那珂」と言う地名は川の上流から下流までたくさん使われています。

でも、この名前の発祥地はこの「那賀」地域がではないかと勝手に想像してしまいました。

常陸国風土記には「粟川」と書かれています。これはやはり旧桂村の粟地方から突いた名前だと思います。

もう少しこの辺りは時間をかけて調べてみなければなりません。そのうちにまた書くことになるかもしれません。

那賀という場所が、鹿島神宮で調べていた「建借間」あたりと繋がってくるようにも感じています。



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城里町 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/10/01 19:13
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