橋門の阿弥陀様(行方市)

<常陸国風土記の行方郡より>

郡より南へ七里のところに、男高の里がある。昔、この地に住んでゐた小高といふ名の佐伯に因んで名付けられた。
常陸国守、当麻(たぎま)大夫の時代に池が作られ、それは今も道の東にある。
池より西の山には、草木が繁り、猪や猿が多く住んでゐる。
池の南の鯨岡は、古へに、鯨がここまではらばって来てそのまま伏せって息絶えた場所である。
池の北には、香取の神を分祀した社がある。
栗家の池といひ、大きな栗の木があったことから、池の名となった。
(口訳・常陸国風土記より)

常陸国風土記の行方郡はこのように「佐伯」という言葉がたくさん出てきます。
この佐伯(さえき)というのは大和朝廷の意向に逆らった部族に対する言い方で、この霞ヶ浦の北側領域を大和朝廷の軍が制圧したのが廻りの地域よりも少し後になったことの表れだと思う。

手鹿(てが)、曾尼(そね)、小高(をだか)、鳥日子(とりひこ)などがそれだ。

上の引用した所に出てくる常陸国守、当麻大夫とあるが、原文では国守ではなく国宰(くにのみこともち)とあり、風土記が書かれたより50~60年ほど前の西暦650~670年頃と思われる。

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国道355号線を石岡の方から霞ヶ浦に沿って南(東)下して、行方市に入り、旧麻生町の入口に近い「橋門」というところの道路沿いに小さな小山とその上に祠がおかれている。

入口には「橋門の阿弥陀様」という説明看板がある。

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小山の上に置かれた祠。この中に板碑に彫られた阿弥陀様の像があるという。
中をよく確認しなかったので写真もないが、高浜の「(親鸞聖人の)爪書き阿弥陀」と同じようなものかもしれない。(こちら


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さて、上の表現で鯨岡という地名が昔霞ヶ浦が海と繋がっていた時に鯨がこの地の陸に打ち上げられたことから地名が起こったと書かれており、この阿弥陀様の場所が今は「橋門」という地名だが、鯨岡の一部だったと書かれている。

この阿弥陀堂の近くには風土記に「香取の神を分祀した社」とかかれている側鷹神社があります。
(こちらは前に紹介しています。→ こちら

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ネットでこの阿弥陀堂の事を調べて見たが、あまりはっきり書かれたものがない。
見つかったのに国会図書館のデータベースにこの旧町史の目次があった。

暇があったら読んでみたいが、今のところ手元にないので機会があれば図書館でも行ってみよう。

麻生町史<民俗編> 麻生町教育委員会/2001.3 (国会図書館リサーチ・ナビ)

第十二章 ことばの伝承
第一節 昔話
一 本格昔話 蛙作右衛門/狸の恩返し/お金持ちになるには/風来僧の話
二 動物昔話 むじな
三 笑話 団子がどっこいになった話
第二節 伝説
一 信仰的伝説 三つ又沖の鐘/親鸞上人/親鸞の滝/親鸞上人とお経塚/黒熊池の大蛇/弘法清水/大松様/新池/三光院と行者/常光院の不思議な木/箕輪の地蔵とネズミサシ/水神様のご利益/亥の子餅/はなれ山のドウロクジン/片目の蛇/大六天/白蛇に化けたゴデ/狐になった男/金山池の火の玉/椎の木坂の猫の会合/井貝の生き身塚/橋門の阿弥陀様/黒熊池の大蛇/ユウヂョウ寺の古狸/浮島と麻生の物語
二 歴史的伝説 日本武尊/土子泥之助の話/常安寺/オオミドウ/羽黒城の大蛇/夢の松/五町田の八坂神社/小高のかやの木/島並知らず/麻生の追いはぎ



小高散歩 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/09/23 16:12
コメント
No title
今晩は・・・<(_ _)>
Roman様・・・・。
橋門の阿弥陀様を載せて頂き有難う御座います。
何時も、私は、仕事へ向かう時、何時も「神様今日も宜しくお願いします・・・。」と車を運転していながら心で祈っています・・・。
あと、Romanさん橋門の他にも島並、麻生にも観音様、お稲荷様等あります・・・。
一度、覗いてみて下さい。
〆になりますが、Romanさんお身体御自愛の程お過ごし下さい。
PS:阿弥陀様を話題に上げて頂き有難う御座います。
   心から感謝します・・・v-22

   

たまこさま
こんばんは。

麻生・玉造方面もいろいろありますね。
まだまだ知らない所も多いです。
昨日の晩に「白帆の湯」に行きました。
結構人が来ていました。
その時大麻神社の祭礼のポスターが貼ってありました。

> あと、Romanさん橋門の他にも島並、麻生にも観音様、お稲荷様等あります・・・。
> 一度、覗いてみて下さい。

阿弥陀様に特に信仰が深いのですか?
私ももう少し信心深くならなければいけませんね。
またよろしくお願いします。   

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