大甕神社(2)-香々背男の眠る岩山

 鹿島神宮境内にある「高房神社」からこの大甕(おおみか)神社にやってきた。

祭神は「武葉槌命」で、鹿島神宮・香取神宮の武神にも退治できなかった(星神)香香背男をやっつけた男である。
どういうわけか倭文(しず)の里(=静神社のあたり)にはこの武葉槌命が来ていて、倭文織などの織物技術を伝えていた。

ここ大甕の山砦に住む香香背男はかなり強大な力を持っていて、この制圧に大和朝廷は手こずっていた。

この武葉槌命はかなり頭の良い武神と言われ、この香香背男を制圧したとされる。
しかし、ここに来ると制圧したというより懐柔して、仲間に加えたのではないだろうかという気がしてくる。

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拝殿の脇に「宿魂石」と書かれた岩が置かれている。
宿魂石と言うのはこの彫られた石ではなく、この上の大岩全体を言うようだ。

そしてこの大岩の上に大甕神社の本殿が置かれている。

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この宿魂石と書かれた所から山道のような道がある。しかしこの上の本殿にはここから登るのは少し危ない。
昔は鎖などが取り付けられていたようだが、今は横の方から登りやすい道がつけられている。

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その道は儀式殿側から続いているのだが、その入口に一つの神社が置かれている。
比較的新しい建物で、最近建てなおされたものかもしれない。

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この神社には「甕星香香背男大神」と書かれている。
これは「香香背男」を祀る神社であろう。

と言うことはこの大甕神社は「星神(甕星)香香背男」と「武葉槌」の両方を祀る神社だ。

悪神「香香背男」をこの岩山に封じ込めたというのは後から作った話だと思う。

恐らく首領をやっつけたかもしれないが、そこに住んでいた部族を懐柔させ味方に引き入れるには、この「香香背男」を大切な神としてたたえてここに祀ったのだ。

敵も味方もそれぞれを大岩信仰の対象として祀りあげたものだと思う。

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甕星香香背男を祭る神社。この脇から本殿に登れる。

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急な岩山を登ると本殿が置かれていた。

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こんな岩山の上に建てられている。

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さて、6号国道によって分断された神社の反対側には「祖霊殿」という建物があります。

しかし、神社の向かい側のその祖霊殿に行く入口に一つの神社が建っています。
「久慈稲荷神社」と言うようです。

この稲荷神社は明治末期頃までは「明久稲荷」と言われていたそうで、もう少し南側の久慈に近い場所にあったという。祭神は五穀豊穣の神である宇迦之御魂神。稲荷神社の祭神である。

この大甕神社とあまり関係がないような気がするが、場所を移す必要から境内社としてうつされたのかもしれない。

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祖霊殿へはこの薄暗い参道を進みます。

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薄暗いと言ってもそれほど怖いものではありません。先祖の眠るお墓の入口でしょうね。

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すぐに開けてその先に立派な建物があります。

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祖霊殿です。さてどんな魂が眠っている場所なのでしょうか。
詳しい説明がありません。
少し時間をかけて調べてみなければならないでしょう。

この神社に属していた神宮寺が明治初期の廃仏毀釈でなくなりこのような形になったものでしょうか?

さて、大甕(おおみか)と言う言葉は何処から来たのでしょうか。

一般的な説明は「甕(みか)」というのは「かめ、瓶」などの意味で、祭時などで使う甕と関係しているのだろうと言われています。

弥生時代の甕棺は、成人埋葬用に作った大甕のことだと言うことですので、ここが祭時としての埋葬場所だったということが考えられます。

一体誰の埋葬場所だったのでしょう。
「武葉槌命」と「香香背男」がともに埋葬された場所なのかもしれません。

2つの民族が融合した象徴なのかもしれません。

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日立・十王 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/10/03 19:25
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