常行三昧会(3)

 行方(なめがた)市の常陸高野こと西連寺の常行三昧会(じょうぎょうざんまいえ)に関して紹介しています。

この(尸羅慶台上山)西蓮寺(天台宗)の創建はかなり古く、782年(延暦元年)に桓武天皇の勅命によって最仙によって創建されたと伝えられています。

最仙上人は最澄(伝教大師)の弟子といわれる僧侶で、常陸国の関城(真壁郡)に生まれ、最初は徳一法師と同じ法相宗に属していたとされます。

そして、常陸国分寺、国分尼寺の僧尼などに経典を講義する講師(こうじ)に任ぜられた人物です。
常陸国ではこの西蓮寺の他、筑波四面薬師と言われる「東城寺」「椎尾薬師」なども創建したと伝わっています。

また、ここの西蓮寺は曼珠院の院号を持っており、鎌倉時代の中頃、比叡山の無動寺から慶弁阿闍梨(けいべんあじゃり)が来て七堂伽藍を造営し、京都の曼殊院(まんじゅいん)の門跡忠尋大僧正が、乱をのがれてこの寺に来てとどまり、曼殊院の額を山門にかかげたと伝えられています。

私も中学時代の京都修学旅行の自由時間にこの曼殊院を訪れたことがあります。修学院離宮の近くにひっそりと有りましたが、庭園も素晴らしく、戸や襖の取っ手模様まで大変凝った造りで印象深く思いだされます。

このように歴史ある寺であり、常陸国の天台宗では中心となる寺名のですが、この有名な常行三昧会(仏立て)の行事の始まりとして少し変わった内容が伝わっています。

それは、源氏の元となる八幡太郎義家が後三年の役(1083~1087)の蝦夷征伐時に鹿島神宮に戦勝を祈願するためにこの地を訪れます。

そしてこの土地の長者(唐ケ崎長者)の家で食事をふるまってほしいと頼んだそうだ。しかし、口に合うようなものが用意できないと丁重にお断りした所、粗末なものでもよいのでといわれ、出されたのがたいそう豪華な食事だったそうだ。

こんな金持ちの長者を生かしておいたら大変だと義家は一家を皆殺しにしてしまった。
ところが娘が一人だけ生き残り、この西蓮寺に預けられ、この娘が両親の供養のために、比叡山から常行三昧会をこの寺に移して始まったというのである。

これはいろいろな話がごっちゃになっているような思いに駆られる。
そのまま信じるには少しばかりおかしい。

何故、長者、またはその娘が比叡山からこのような行事を移すことができたのか?
長者は何故八幡太郎義家に殺されたのか? これは何故、水戸の渡里町に残された渡里長者伝説とそっくりなのか?
義家は本当にこの地を訪れたことがあるのか?

この寺は薬師如来が本尊だが、常行堂に祀られているのは「阿弥陀如来」であり、天台宗の寺であるのにこの仏立て行事は宗派を問わないのは何故なのか?

まあ、あまり考えても真実は出てこないと思うが、少しおかしいと思うのは私だけなのかな?

びんづる尊者像も「この長者の娘で、びんづるおばあちゃん」と言うのもなんだかおかしいよね。

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この西蓮寺の本尊は薬師如来で、常行堂の西側にある薬師堂の後ろにあるコンクリートの収納庫に保存されている。

この薬師如来座像は、開基した最仙上人自らが彫ったものとされ、一木背刳(せぐり)造りである。

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この日は何時も閉じられている薬師堂も開放され、入口で役員が受付していた。

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少し遠くから写真を撮ったが中が暗くて本尊が撮れているのかもよくわからない。

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この日は行列を見ようと地元の保育園(幼稚園)生か小学生?見物に来ていました。
みんなお行儀よく座って行列の来るのを待っていました。

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みんな今か今かと待っています。
しかし、私を含めアマチュアカメラマンもたくさん来ていました。
これがあまりマナーが良くないんです。

私がカメラを構えたすぐ前にやって来て頭が邪魔でなかなか撮れません。

本当にイライラします。

でも、「他人の振り見て我が振り直せ」ですね。

自分も邪魔になっているかとも思いましたね・・・・・。

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1000年以上にもなると言うイチョウの木は本当に見事です。子供達も不思議そうに見上げていました。

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民族と芸能 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/09/29 16:28
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