取手山館(小美玉市)

 国道355号線は笠間市から石岡を通って千葉県香取市を結ぶ霞ヶ浦の北側沿いを走る街道である。
昔は笠間稲荷ー常陸国府(石岡)-小川ー佐原ー香取神宮を結ぶその時代ごとに重要な役割を担っていたものと思う。

石岡から小美玉市の小川を結ぶ街道は通称「小川街道」と呼ばれ、その街道に沿って昔は鹿島鉄道が走っていた。
鉄道は数年前に廃止となって今では石岡と茨城空港を結ぶバス専用の道路になった。

この国道355号線が旧玉里村と旧小川町の境界の場所で小川の街中を通って鉾田に行く道と、最近できた茨城空港方面に行く分かれ道(T字路)がある。

バス停は「田木谷(たぎや)」とある。

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今この場所で道路工事が行われ、T字路から十字路になるようだ。これはおそらく現在建設中の6号国道千代田・石岡バイパスと茨城空港のアクセスが良くなるために建設が進められているものと思う。

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上の写真の右側で山を切り崩し、谷を埋めての道路工事が続いている。

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しかし、この場所は常陸府中(現石岡市)の関東の平氏の棟梁「大掾(だいじょう)氏」と小川城の園部氏との最後の争いの主戦場になった場所のようだ。

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道路工事に先だって、この場所の発掘調査が行われた。そして今年2月に発掘結果が公開された。
残念ながら行くことは出来なかったが、その資料によると、

取手山館:
 天文6年(1537年)、現在の石岡市に本拠地を持つ大掾氏が小川を本拠とする園部氏に対抗するために築城しました。
天正16年(1588年)、江戸・佐竹軍との戦いでは、戦死者を数多く出す激戦の末落城したとされています。

と説明がされ、この場所から縄文時代・古墳時代の竪穴住居跡や、奈良平安時代の遺物も多数発見されています。
またこの取手山館時代のものと思われる多数の鉄砲の弾が発見されました。

特徴的なのはトンネルの跡が多数発掘されており、この館にはいる時はこのトンネルを使ったのではないかと言うことでした。

まさに自然の地形を利用した砦だったと思われます。

当然「取手山」の名前も「砦山」からきたものでしょう。

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さて、工事中の写真の左手(東側)のこんもりとまだ少し残って小山に神社が建っています。
「取手稲荷神社」です。

神社への入口は、国道355号線のところから住宅の脇を通るような細い道が続いています。

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そして山に続く道の入口に「正一位取手稲荷社?」と石柱が立っています。

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その近くに「取手館跡」の説明看板が置かれていました。
少し説明がこれではわかりずらいですね。
この辺りはまた明日にでも整理して書きたいと思います。

義国は平義国(大掾)のことで、竹原城の城主であった竹原四郎義国のことのようです。
府中城の本家大掾氏の大掾貞国の弟。四郎というので四男?

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山の上には取手稲荷神社があります。
神社境内には明治44年4月1日建立の「鳥手神社三百五十年記念祭記念碑」がありました。
「鳥手神社」となっているのが目につきました。

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神社そのものはこんなこじんまりしたものです。
下草も伸び、蜘蛛の巣もかき分けて、この時期ですからあまり人が訪れないので手入れも大変です。

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キツネですからここは、お稲荷さんですね。正一位とありましたので当然ですね。



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玉里地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/10/09 19:38
コメント
取手館跡
こちらにも失礼します。

先日、玉里の史料館で、この取手館をテーマにした企画展があり、出かけてきました。

この館(というか砦)、落ちた後(敗戦後)わりとすぐに埋められてしまったようだとのことでした。おそらく、敵からして、再利用されないためだったかと想像されます。
今回の工事をきっかけに発掘されたこの遺跡は、堀のリフォーム痕やトンネル状の通路など、とても面白い特徴が、しっかり残っていました。大変貴重なものだったかと思います。
ですが、この発掘で出てきた部分は、こちらの記事のとおりの事情(道路新設)のため、記録を残して既にすべて削り取られてしまいました。

時代は新しくなってゆくわけで、仕方ないのかな…とも思いましたが、それ以上に、やはり、何とか保存できなかったのかな…と思ってしまいました。古いものは、いったん壊してしまったらもう二度と戻らないですものね。
Re: 取手館跡
みーたまーさん

こちらのコメントへの返信を忘れていました。

この田木谷にある取手山館跡はなかなか面白いですね。
戦国末期にこの辺りがどのような勢力争いが行われていたのかを知るにはもってこいです。

飯塚館、原山館、殿塚館、笠松館などたくさんがひしめき合っていましたね。
その最前線に山の地形を利用して下からトンネルを掘って砦の出入りをしていたなんて・・・

それが新しい道路で消えてしまったのですが・・・。
記録を残して、小美玉と石岡も行政の垣根をもう少し取り払ってほしいと思います。

もう少し人たちの住む地域の歴史には目を向けたいですね。
コメントありがとうございました。

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