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仏生寺という地名

 先年末、八郷地区の北向観音堂の紹介をしました。このあたりの地名を仏生寺というのです。
寺と名前がついているので昔お寺があったのでしょうか?

この地名のいわれはあまり紹介されているものが少ないようですが、この地の整備を行なっているボランティア団体の「八郷ふるさとの史跡守り隊」が発行している「民話の里めぐり」というパンフレットに地名のいわれが載せてあります。

 これによると「行基菩薩伝説の仏生寺集落」とあります。パンフレットの概略を書くと、「行基菩薩が稽主勲を伴って、筑波山を経てこの地にさしかかると山里に光明を見た。
急いで行ってみると神龍が潜むような川の淵に白髪の老翁がいて、近付くと雷が落ち周囲の木が燃え、白壇の木が残されていた。
そして、この木で仏像を彫り住民に与えたという。そして、後に堂宇を建て「龍光院」と名付けた。
行基菩薩は、「この地は仏が生まれた地であるので、仏生寺と名付けよ」と言われたという。」
となっています。

 どうも私の悪い癖で、このように聞くと本当? とすぐに疑ってしまうのである。
この龍光院というのは前に紹介した小町伝説のある北向観音堂のことです。
この話が本当であれば約1300年前ということになります。

kitamuki04.jpg

上の観音像は、北向観音堂に安置されているもので、行基菩薩が奈良から連れて来た稽主勲兄弟の作と言われているといいます。

行基菩薩という人は菩薩と呼ばれるように困っている人を助け、道路を直し、橋をかけ、溝や掘りを多く作ったといわれる高僧で聖武天皇に奈良東大寺の大仏建立のために招聘された人物です。

関西から九州方面にかけて多くの足跡が残されており、また地図まで作ったほど日本全国にも足を伸ばしているといいます。

日本全国各地に伝説や謂れが残されており、多くは後から創られたものと考えるのが普通でしょう。

さて、八郷町誌にはこの観音様について、次のように紹介しています。

「一説には、観音を背負った回国六部がここにきて病にかかったとき、長い間厄介になったある家の主人に観音のご利益を説き、お礼として残したものともいう。」

どちらを信じるか? または別な説があるのか?

どちらにしろ、伝説(小町伝説、行基菩薩伝説、薬師如来伝説など)が生まれるような場所であることだけは確かなようです。

「回国六部」についてはまた明日にでも書きますね。
 

地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/01/12 19:15
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