雲厳寺(1)
栃木県大田原市に雲厳寺(雲岩寺)という素敵な寺があると聞いていたので、先日行ってきました。
噂に聞いていた通り素晴らしい寺でした。
茨城県の大子町からもそれほど遠くない。
コースは馬頭(栃木県那珂川町)から行って、帰りは袋田の滝のある大子町に出たが、調べて見ると黒羽街道が近くを通っていた。
芭蕉が奥の細道を旅した時に黒羽(くろばね)(現、栃木県大田原市)に14日も滞在している。
そしてたくさんの句を詠んでいる。
そしてこの雲厳寺にも立寄った。この地に長く滞在したのもこの雲厳寺の存在が大きかったのかもしれない。

(クリックすると大きな写真となります)
このかなり奥まった土地にこのような大きな寺があるのに驚くばかりだ。

(クリックすると大きな写真となります)
寺をWikipediaで調べて見ると「雲巌寺は大治年間(1126年~1131年)に叟元和尚によって開基され、1283年(弘安6年)に時の執権・北条時宗を大檀那とし、高梨勝願法印の寄進のもと仏国国師によって開山されたといわれる」と書かれています。
そして戦国末期に臨済宗妙心寺派に改宗したが、戦火で焼け、数年後に再建し300年経った大正時代に改築したという。
手を加えたにしても江戸時代の始まり頃から仏堂の建物はあった。
朱塗りの反り橋(爪瓞(かてつ)橋)を渡った先に見上げる山門は本当に美しい。
この爪瓞(かてつ)という字が難しいので調べると「爪瓞綿綿(かてつめんめん)」という言葉が出てきました。
意味は子孫が長く綿々と続いて反映することだそうです。
瓞=てつ は小さな爪で、大きな爪から小さな爪につながって行くということのようです。(知らなかった)

入口の山門。紅葉の時期は特に美しいと言うが、雪の時もかなり見ごたえがありそうだ。

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山門をくぐった先の正面にあるのが仏殿。姿のよいどっしりとした建物だ。

(クリックすると大きな写真となります)
こちらは左手にある「平和観音堂」だ。この建物の裏手に戦没者墓がある。
この左側の石が芭蕉の句碑だ。(下の写真)

竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば (仏頂和尚)
木啄(きつつき)も庵はやぶらず夏木立 (芭蕉)
ここにあるように和尚は粗末な草庵に住んでいたようです。
啄木鳥(きつつき)もこの草庵をつついて破る事はないだろうと芭蕉が詠んでいますね。

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ここに書かれているように仏頂和尚をこの地に訪ねているが、「仏頂和尚は常陸国鹿島根本寺の住職で鹿島神宮との寺領争いを提訴ために江戸深川の臨川庵に滞在していた」と書かれている。
そこで思い出したが、この根本寺は前に訪れている。(こちら)

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平和観音堂から仏殿と鐘楼を見たところ。

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こちらは仏殿とその裏手の高台に「方丈」がある。ここにもまた階段を上って行く。

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仏殿のなかの仏像だが、暗くてぶれてしまった。
(もう少し次回に続きます)
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噂に聞いていた通り素晴らしい寺でした。
茨城県の大子町からもそれほど遠くない。
コースは馬頭(栃木県那珂川町)から行って、帰りは袋田の滝のある大子町に出たが、調べて見ると黒羽街道が近くを通っていた。
芭蕉が奥の細道を旅した時に黒羽(くろばね)(現、栃木県大田原市)に14日も滞在している。
そしてたくさんの句を詠んでいる。
そしてこの雲厳寺にも立寄った。この地に長く滞在したのもこの雲厳寺の存在が大きかったのかもしれない。

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このかなり奥まった土地にこのような大きな寺があるのに驚くばかりだ。

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寺をWikipediaで調べて見ると「雲巌寺は大治年間(1126年~1131年)に叟元和尚によって開基され、1283年(弘安6年)に時の執権・北条時宗を大檀那とし、高梨勝願法印の寄進のもと仏国国師によって開山されたといわれる」と書かれています。
そして戦国末期に臨済宗妙心寺派に改宗したが、戦火で焼け、数年後に再建し300年経った大正時代に改築したという。
手を加えたにしても江戸時代の始まり頃から仏堂の建物はあった。
朱塗りの反り橋(爪瓞(かてつ)橋)を渡った先に見上げる山門は本当に美しい。
この爪瓞(かてつ)という字が難しいので調べると「爪瓞綿綿(かてつめんめん)」という言葉が出てきました。
意味は子孫が長く綿々と続いて反映することだそうです。
瓞=てつ は小さな爪で、大きな爪から小さな爪につながって行くということのようです。(知らなかった)

入口の山門。紅葉の時期は特に美しいと言うが、雪の時もかなり見ごたえがありそうだ。

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山門をくぐった先の正面にあるのが仏殿。姿のよいどっしりとした建物だ。

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こちらは左手にある「平和観音堂」だ。この建物の裏手に戦没者墓がある。
この左側の石が芭蕉の句碑だ。(下の写真)

竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば (仏頂和尚)
木啄(きつつき)も庵はやぶらず夏木立 (芭蕉)
ここにあるように和尚は粗末な草庵に住んでいたようです。
啄木鳥(きつつき)もこの草庵をつついて破る事はないだろうと芭蕉が詠んでいますね。

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ここに書かれているように仏頂和尚をこの地に訪ねているが、「仏頂和尚は常陸国鹿島根本寺の住職で鹿島神宮との寺領争いを提訴ために江戸深川の臨川庵に滞在していた」と書かれている。
そこで思い出したが、この根本寺は前に訪れている。(こちら)

(クリックすると大きな写真となります)
平和観音堂から仏殿と鐘楼を見たところ。

(クリックすると大きな写真となります)
こちらは仏殿とその裏手の高台に「方丈」がある。ここにもまた階段を上って行く。

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仏殿のなかの仏像だが、暗くてぶれてしまった。
(もう少し次回に続きます)


お孫さん何て可愛いんでしょう。お賑やかにお過ごしの事と存じます。
雲巌寺には暫く行っていないので懐かしく拝見しました。
黒羽は町全体が歴史を感じる素敵な町ですよね。歴史に疎い私ですが
詳しい事は分からなくても何時行っても落ち着いた素敵な所です。
黒羽の大雄寺(だいおうじ)には行かれませんでしたか?このお寺も
歴史を感じる素敵なお寺です。これから紅葉も綺麗でしょうね。
栃木にお運びいただきご紹介ありがとうございました。
さて黒羽には行ったことがないので今度行ってみたいですね。
雲巌寺は始めていきましたが紅葉の見所のようですね。
佇まいそのものが絵になります。
少し遠いのですが大子には時々行くので今回足をのばしました。
また時期を見ていってみたいです。
> 黒羽の大雄寺(だいおうじ)には行かれませんでしたか?このお寺も
> 歴史を感じる素敵なお寺です。これから紅葉も綺麗でしょうね。
大雄寺も黒羽の町もよく知りません。
機会があったらゆっくりと散策してみたいと思います。
紹介ありがとうございます。
松尾芭蕉も子の地を気に入ったんでしょうね。
完全にモノトーンの世界に見えました。
またお邪魔します。
ここは禅寺道場のようですのでこのような場所であることも修行になりそうです。
その落ち着いたたたずまいが何ともいえず素晴らしかったです。
> 山奥の人がそんなに来ないような場所にこんなすごいものがあるのですね。石岡のあの神社の本殿を見つけて、あきらあかに江戸時代まであるなあと感じた時を思い出しました。
そうですね拝殿は焼けて立て直していますが裏手は焼け跡が残っても昔のものが残っていますね。
ここの建物はもっと前からですね。
> 完全にモノトーンの世界に見えました。
これはたしかに感じますね。
紅葉の名所と聞きましたが、雪のたたずまいも何とも言えない良さがありそうです。
今日も訪問にコメントありがとうございました。