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府中城は名古城?

今朝は思ったより車は少ない気がしました。7時半頃、東から日が少し高いところまで昇り、昨夜東の空から黄色の鮮やかな輝きを見せていた月は白くなって徐々に薄れ、筑波山の少し南側の上にまだ見えていました。
「月は西に、日は東に」ですね。

 昨日は2つの城の話をしました。
今日はその府中城が何故日本三大名古城と言われたのかを知りたいと思い、山鹿素行の「謫居童問(たっきょどうもん)」を読んでみようかと思いたちました。
そして、ネットでも読めることが判りトライすること1~2時間。
どうやら私には簡単に理解できる本ではなかった。
山鹿(やまが)素行は、江戸時代の儒教学者・兵法家であるが、知れば知るほど凄さが伝わってくるように思う。
「中朝事実」で中国より本朝の方が優れているとしたことが、朱子学を批判したとして赤穂藩に謫居(たっきょ)されられます。ここで著したのが「謫居童問」です。
童問とは読んで字のごとく子供の問いに答えるというのだけれど、そんな子供らしい問いなどどこにもない。

この思想が赤穂浪士の思想に大きな影響を及ぼし、吉田松陰へ伝っていったのです。
今日はこのような思想の話はさておき、この本に、ここ常陸国の府中城を古城として優れていたと書かれているというのですから確認したかったのですが、今日はギブアップです。

fuchuuchizu.jpg

この地図は石岡小学校の敷地内の府中城の土塁の説明看板に掲載された図です。
出典は「図説石岡市史」となっています。

特徴は現在の小学校から総社宮及びその奥の山側を土塁と堀で囲み、北側を池で、南側は鯉川(現恋瀬川)が流れています。
最大の特徴は、その東側の街の外側に「から掘」が廻らされ、町を含めた全体で城を形成していたのです。
現在はその掘りのあったところは鉄道が走って、面影をたどるのは困難なようです。

城中にあったという池や掘りは、ほとんど埋め立てられたり、田や畑に変わってしまっています。
面影を求めて、まわりをまわってみましたが、土塁や竹林などが少し残っているばかりでした。

fuchuujyou04.jpg

城山中などといわれたところにあった鈴ヶ池などを復活させ、公園にでもしたら鈴姫の物語も復活するのでしょうか?

最近、予算を組んで「上池」を公園風に整備しましたが、他所から来られた方には何処にあるのかさえわかりません。
地元の方でも意外に知られていないようですね。「上池」「下池」があったのですが・・・。
 


石岡市内 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/12/24 20:13
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