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持福院と手賀八坂神社(行方市)

 玉造の少し南側は今まで全く知らないところで、霞ヶ浦湖畔から富士山が見えたり、筑波山もよく見える場所くらいしかイメージはなかった。

しかし、この辺りには古代のヤマトタケル伝説が多く残り、また常陸国府(石岡)と鹿島を結ぶ古代の官道もあったようで、近くに「曾尼(そね)の駅家(うまや)」が置かれていた。

 今はその駅家の場所らしきところは国道50号線に近い所とされているが、このもう少し南岸よりをどうして通らなかったのだろう。

今では潮来、鹿島、香取などに行くには国道355号線を通る。

この道は比較的新しく、少し山側に旧道がある。今回玉造からすぐに旧道に入って見た。
そしてまず目にしたのが昨日紹介した「境稲荷神社」だ。

その「境稲荷神社」を少し行くと「手賀」に入る。

常陸国風土記には行方郡の記述に

「郡より西北に向ふと提賀(てが)の里がある。昔、この地に住んでゐた手鹿(てが)といふ名の佐伯を偲んで名付けられた。
里の北に香島の神を分祀した社がある。周囲の山や野は、土が肥え、栗、竹、茅などが多く繁ってゐる。提賀の里より北に、曾尼(そね)の村がある。
やはり昔この地に住んでゐたそねびこといふ佐伯の名から名付けられた。
今は駅家(うまや)が置かれ、曾尼の駅と呼ばれる」(口訳・常陸国風土記より)

このように書かれている。
手賀も提賀から来ており、その前は「手鹿」という佐伯(原住民)がいたとされる。

今日は手賀にある寺と神社の2か所を紹介します。

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まず「天台宗 持福院」(天台宗雄喜山神宮寺持福院)で、手賀小学校のすぐ手前にある。

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住職も48代目と言うことで、かなり古い寺である。
しかし、境内や墓地もそれ程広くはなく、寺の建物などの重厚感はあまり感じられない。

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寺の本尊は釈迦如来座像で、鎌倉時代の製作と見られている。
この本尊はほぼ等身大の大きさで、寺の中の正面に置かれていたが、中まで入っての確認はしなかった。
しかし、もう少し知られてもいい仏像なのかもしれない。(詳細はこちら


さてこの持福院からさらに100mほど進むと、道沿いに「八坂神社」がある。

八坂神社といえばこの先の天王先崎に八坂神社があり、元々は天王崎と言う名前の由来にもなった牛頭天王を祀る神社であった。

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こちらの手賀八坂神社で、7月下旬の土日に手賀祇園祭が行われる。両宿、浜町、竹の塙、横須賀(横新)の4地区の山車が奉納曳行される。この山車で演じられる囃子が石岡・柿岡・片野などの石岡市の民俗芸能の流れを汲んだものだそうだ。

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この八坂神社は「荒原神社」が合祀されています。

この荒原神社というのはもう少し山側に入ったところにもありますが、常陸国風土記に「里の北に香島の神を分祀した社」と記されたのはこの荒原神社と言う説もあるようです。

しかし私は前に「側鷹神社」(こちら)のところで書いたと思います。

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玉造 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/11/01 19:41
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