萬福寺(行方市)-重盛所縁の寺

 国道355号線の玉造の街に近い所に行方市が設置した文化財の場所の矢印看板がある。

県指定の文化財が「阿弥陀堂・仁王門・阿弥陀如来立像及び両脇侍像」、市の指定が「木造阿弥陀如来立像・金剛力士像」とかなり多い。

案内板があれば一度は目を通しておきたいと思い寄り道することにした。

見てみないとわからないものである。こんなところにこんな歴史を感じさせてくれる建物があったとは。

不意をつかれた感じであった。 ここは平重盛とかなり深くかかわっていることが判明した。

城里町の小松寺(こちら1こちら2こちら3)と関係しているのかもしれない。

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県指定有形文化財「仁王門」

天正6年(1578)に利根村小野逢善寺(ほうぜんじ)に建立したものを1724年にここに移築したもの。

この逢善寺も826年創建の古刹で、茨城百景にも指定されているそうなので今度行ってみたい。

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金剛力士(仁王)像(市指定有形文化財)

江戸時代中期、享保8年(1723)の造作とのこと。総高は阿形・吽形ともに2.7m。

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仁王門をくぐり石段を登ると立派な萱ぶきの「阿弥陀堂」が建っている。

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この阿弥陀堂に平重盛(小松殿)の本尊が納められているという。

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なぜこのような場所に重盛の本尊が納められているのかとても不思議なのだが、このあたりは小松寺で書いたので簡単に触れておきたい。

平家の仲間がみな西国に逃げ、その後壇ノ浦の合戦で源氏に敗れるが、平貞能(さだよし)は西国へは行かず、高野山に登り、重盛の墓を掘り起こし、遺骨だけを取り出し、周りの土は鴨川に流したという。

そして東国に逃げて来て遺骨を小松寺に埋めたとされる。
しかし、この萬福寺の伝によれ重盛本尊の阿弥陀如来像と遺骨を納めたとされているという。

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この阿弥陀堂の裏に寺の本堂があります。

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本堂にも鎌倉時代後半の作風の木造阿弥陀如来像が安置されています。

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行方市の玉造地区ももう少し散策しなければいけないようです。
この寺は思わぬ発見でした。



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玉造 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/11/08 19:13
コメント
No title
こんばんは。
常陸の国に平重盛公の御墓が2か所、存在していたとは!!
私は今まで城里町の小松寺がそうだと思っていました。
でもあちらは御本尊らしきものはないし、重盛公とその夫人の御墓と言われている苔むした五輪塔のみ。萬福寺には阿弥陀如来像が納められていたのですね。果たしてどちらが本当の重盛公の御墓なのでしょう。。。

それにしても、大変興味深い古刹ですね。
行方市も探検し甲斐のあるところのようで(*^_^*)
よくぞ、見つけられました!ご紹介ありがとうございます。
竹千代さん
こんばんは。

> 常陸の国に平重盛公の御墓が2か所、存在していたとは!!
> 私は今まで城里町の小松寺がそうだと思っていました。

私はやはり小松寺の墓は本物のような気がしています。こちらは墓らしきものはわかりません。
本尊は芹沢家に代々伝わったものなのかもしれません。

芹沢氏も平氏の子孫ですね。

> それにしても、大変興味深い古刹ですね。
> 行方市も探検し甲斐のあるところのようで(*^_^*)
> よくぞ、見つけられました!ご紹介ありがとうございます。

まだまだ知らない所がたくさんあります。
そのうちに段々関係が分かってくるかも知れないですね。

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