佐原諏訪神社(香取市)(1)
関東三大山車祭りと言われる佐原(香取市)の大祭は7月と10月に町内を2分して行われる。
その10月の秋祭りはこの諏訪神社の祭り(小野川の西側:新宿地区の祭り)とされている。
(7月の祭りは本宿の八坂神社の祇園祭)
この諏訪神社を初めて訪れて見たが、かなり大きな神社で江戸時代の水運で発達した水郷佐原の街を偲ばせてくれる。

(クリックすると大きな写真が見られます)
佐原駅から北に向かってくねくねとした道をたどっていくと諏訪神社入口につく。
この町も中心地は車で行くと道が分からなくなる。
神社入口から平坦な参道が長く伸びていて、両側に灯籠と杉並木が続く。
上の写真は参道の途中からふり返ったところ。
入口には大きな鳥居があり、右手には伊能忠敬の像があったそうだがそちらは見ていない。
入口付近が狭く、車を神社裏手の駐車場に止めたので見学は逆に上の方から見ていく形となってしまった。

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神社は高台にありこの2つにわかれた計100段程の階段を登る。上の写真は1つ目の階段入口。

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こちらは2つ目の階段だが、こちらは少し古そうだ。
こちらにある灯籠が400年以上前と言われる古いものなのか?
左側にある石碑は「万國衣冠して冕旒を拝す」と書かれているそうです。
(大正三年建、 大正天皇御即位記念、高さ4.6m)

途中赤レンガで固めたステップがあった。神社としてはあまり見かけない気がする。

(クリックすると大きな写真が見られます)
階段を登ったところに神社本殿があります。
嘉永6年(1835)の造営。但しその前にあった本殿は元禄14年(1701)の造営と言われる。
なぜこの下総の佐原に諏訪神社があるのか少し不思議な気がして調べて見た。
Wikipediaには
「天慶の乱で伊予国の藤原純友を討った功績により下総大須賀荘(現成田市伊能)領主に任ぜられた大神惟季は、領内の守護として信濃国諏訪大社を勧請した。その後、天正年間に領内の農民を率い佐原新宿を開発するに際して守神として勧請したものである」
と書かれていた。
この辺りはもう少し調べて見るとかなり面白そうだが茨城から外れているのであまり深くは探らないことにしよう。
天慶の乱は関東の平将門の乱と関西の藤原純友の乱の両方をさすそうだが、藤原純友の方はよく知らない。
また大神惟季(おおがのこれすえ)は平安時代中期の雅楽家(笛の達人)だそうだ。
確か新羅三郎義光も少し後の生まれだが笛の名人だったはず。
それにしても諏訪大社は出雲神だろうね。
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その10月の秋祭りはこの諏訪神社の祭り(小野川の西側:新宿地区の祭り)とされている。
(7月の祭りは本宿の八坂神社の祇園祭)
この諏訪神社を初めて訪れて見たが、かなり大きな神社で江戸時代の水運で発達した水郷佐原の街を偲ばせてくれる。

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佐原駅から北に向かってくねくねとした道をたどっていくと諏訪神社入口につく。
この町も中心地は車で行くと道が分からなくなる。
神社入口から平坦な参道が長く伸びていて、両側に灯籠と杉並木が続く。
上の写真は参道の途中からふり返ったところ。
入口には大きな鳥居があり、右手には伊能忠敬の像があったそうだがそちらは見ていない。
入口付近が狭く、車を神社裏手の駐車場に止めたので見学は逆に上の方から見ていく形となってしまった。

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神社は高台にありこの2つにわかれた計100段程の階段を登る。上の写真は1つ目の階段入口。

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こちらは2つ目の階段だが、こちらは少し古そうだ。
こちらにある灯籠が400年以上前と言われる古いものなのか?
左側にある石碑は「万國衣冠して冕旒を拝す」と書かれているそうです。
(大正三年建、 大正天皇御即位記念、高さ4.6m)

途中赤レンガで固めたステップがあった。神社としてはあまり見かけない気がする。

(クリックすると大きな写真が見られます)
階段を登ったところに神社本殿があります。
嘉永6年(1835)の造営。但しその前にあった本殿は元禄14年(1701)の造営と言われる。
なぜこの下総の佐原に諏訪神社があるのか少し不思議な気がして調べて見た。
Wikipediaには
「天慶の乱で伊予国の藤原純友を討った功績により下総大須賀荘(現成田市伊能)領主に任ぜられた大神惟季は、領内の守護として信濃国諏訪大社を勧請した。その後、天正年間に領内の農民を率い佐原新宿を開発するに際して守神として勧請したものである」
と書かれていた。
この辺りはもう少し調べて見るとかなり面白そうだが茨城から外れているのであまり深くは探らないことにしよう。
天慶の乱は関東の平将門の乱と関西の藤原純友の乱の両方をさすそうだが、藤原純友の方はよく知らない。
また大神惟季(おおがのこれすえ)は平安時代中期の雅楽家(笛の達人)だそうだ。
確か新羅三郎義光も少し後の生まれだが笛の名人だったはず。
それにしても諏訪大社は出雲神だろうね。


どこか手入れが行き届いていないように見えるのも
逆に本物故かなあと思ってしまいました。
階段を何往復すると体が丈夫になるのでしょうか。
そんな悠長な段数ではなさそうですね。
400年前の灯籠、神社にそぐわない赤レンガ、
それは明治時代の遺構かもしれませんね。
レンガにはメーカー名が入ってたりします。
なぜこの地にあるのかを、調べると、海賊
藤原純友までたどり着くのですね。
そういえば平将門を滅ぼした藤原秀郷も
このあたりの人だった?ような記憶があります。
佐原はまだお祭りも、この神社も行ってませんので、まだ見ぬ楽しみがいっぱいですね。
お晩です、Romanさん、またお邪魔します。
しまいました、お詫びいたします。
kozoh55
> 驚くべき迫力ですね。
> どこか手入れが行き届いていないように見えるのも
> 逆に本物故かなあと思ってしまいました。
今は佐原の大祭の神社として知られるようですが、規模からすると
時の権力が大きなものだった感じますね。
この神社は伊能忠敬の子孫の方が宮司をされているようにも聞きました。
(真偽はわかりません)
> 階段を何往復すると体が丈夫になるのでしょうか。
確かに長いですが、毎日何往復かすれば健康維持には良いでしょう。
私はその信心も体力もないです。(笑)
> 400年前の灯籠、神社にそぐわない赤レンガ、それは明治時代の遺構かもしれませんね。
> レンガにはメーカー名が入ってたりします。
確かに明治か大正時代でしょうか。西洋的なレンガを使うと言うのも理由があるのかもしれませんね。
> そういえば平将門を滅ぼした藤原秀郷もこのあたりの人だった?ような記憶があります。
子供のころ読んだムカデ退治の俵藤太(藤原秀郷)が将門を矢で殺したかどうかははっきりしませんが
将門も上総・下総・常陸などかなり広大に話が残っています。
藤原秀郷も神社巡りなどしていると頻繁に名前が出てきますね。
> 佐原はまだお祭りも、この神社も行ってませんので、まだ見ぬ楽しみがいっぱいですね。
水郷佐原も見所はいっぱいあります。機会を見てお出かけして下さい。良い街です。