桃浦(1)-旧桃浦駅
鹿島鉄道が2007年4月1日で廃止されて6年半が過ぎた。
その軌道の跡地は石岡から茨城空港に通うバス専用路線として6~7km位が使われているが、全線は26.9kmですので1/4も使われずに置かれたままになっている。
ここ桃浦は常陸小川、小川高校下の次に来る駅であり、八木蒔、浜、玉造と続く。
何故かこの場所は年齢層によりかなり印象は違うのではないだろうか。
「石岡昭和の肖像」に昔の石岡駅に貼られたポスターが目に焼き付いている。
桃浦の海水浴場が開かれる案内が書かれていた。
そう、ここで夏は海水浴が出来たのだそうだ。霞ヶ浦は何時頃まで泳げたのでしょうか?

桃浦駅。ログハウス風の駅舎がそのまま残されています。上の写真は線路側から撮ったもの。

駅舎入口正面です。昔の写真を見るとこの真ん中部分(入口の左側)に自動販売機(ジュースなど)が置かれていたようです。

駅の待合室。昔のまま残されています。

1段高くなっているホームは草は生えていますがそのままの形で残っています。
そしてホームの左右に線路があったようです。
単線でしたがここで上下線のすれ違いが出来たようです。


さて、廃線当時は無人駅だったようですが(有人駅は常陸小川と玉造?)、この駅にも駅員がいた時代が長くあったようです。

駅舎の向かって左側の部屋は駅員の部屋だったようです。

この駅員室には運行当時の色々な紙が貼られたままになっています。
各関係の連絡先、運転の注意事項などがびっしり貼ったままになっています。


この駅舎の入口は比較的広くロータリー式になっていたようで、駐車場も整備されていました。
また、ここに石碑が建立されていて、これはこの駅が出来た時に建てられたようです。
手前の県道から駅までの短い区間ですが道路が開通した事を記念して建てたもののようです。
「桃浦駅新道開通記念碑」と書かれています。
1926年に常陸小川から浜まで鉄道が延長されたことを記念したものかもしれない。
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その軌道の跡地は石岡から茨城空港に通うバス専用路線として6~7km位が使われているが、全線は26.9kmですので1/4も使われずに置かれたままになっている。
ここ桃浦は常陸小川、小川高校下の次に来る駅であり、八木蒔、浜、玉造と続く。
何故かこの場所は年齢層によりかなり印象は違うのではないだろうか。
「石岡昭和の肖像」に昔の石岡駅に貼られたポスターが目に焼き付いている。
桃浦の海水浴場が開かれる案内が書かれていた。
そう、ここで夏は海水浴が出来たのだそうだ。霞ヶ浦は何時頃まで泳げたのでしょうか?

桃浦駅。ログハウス風の駅舎がそのまま残されています。上の写真は線路側から撮ったもの。

駅舎入口正面です。昔の写真を見るとこの真ん中部分(入口の左側)に自動販売機(ジュースなど)が置かれていたようです。

駅の待合室。昔のまま残されています。

1段高くなっているホームは草は生えていますがそのままの形で残っています。
そしてホームの左右に線路があったようです。
単線でしたがここで上下線のすれ違いが出来たようです。


さて、廃線当時は無人駅だったようですが(有人駅は常陸小川と玉造?)、この駅にも駅員がいた時代が長くあったようです。

駅舎の向かって左側の部屋は駅員の部屋だったようです。

この駅員室には運行当時の色々な紙が貼られたままになっています。
各関係の連絡先、運転の注意事項などがびっしり貼ったままになっています。


この駅舎の入口は比較的広くロータリー式になっていたようで、駐車場も整備されていました。
また、ここに石碑が建立されていて、これはこの駅が出来た時に建てられたようです。
手前の県道から駅までの短い区間ですが道路が開通した事を記念して建てたもののようです。
「桃浦駅新道開通記念碑」と書かれています。
1926年に常陸小川から浜まで鉄道が延長されたことを記念したものかもしれない。


桃浦駅の駅舎、まだ残されていたのですね!
あの時のまま(*´∀`*)
鹿島鉄道沿線の駅舎や線路は全て撤去されたと思っていましたが、こうして残されてるところもあったのかと思うと、鉄道在りし日を知る人間には嬉しいお話ですo(^o^)o
情報、ありがとうございました!
> あの時のまま(*´∀`*)
そのまま残っていたんです。これって少し感動しましたよ。
一度近くに来られたら寄って見て下さい。