香取神宮-雨乞塚
香取神宮の奥宮入口の道の辻に「雨乞塚」と書かれた看板が立っていた。
ここは十字路の交差点に当たる場所だ。
紅葉も丁度良い雰囲気を醸し出していた

ここから真南に伸びた道の先の正面に奥宮がある。

雨乞塚:ここは聖武天皇天平4年(732)、この地が大旱魃の時祭壇を設け雨乞ひをした処である。(看板に書かれている内容)

奥宮の入口左側に「天真正伝神道流(しょうしんしょうでんしんとうりゅう)始祖飯篠長威斎(いいざさちょううさい)墓」がある。

日本最古の剣道の流儀を始めた人物だそうだ。周りを囲まれていただ、墓石は質素なものだ。
鹿島で、鹿島古流(鹿島中古流)に加え、天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新当流を開いたのが有名な塚原ト伝だ。
鹿島神宮と香取神宮は共に剣道を学ぶ人たちにとっての聖地にもなっている。

この雨乞塚の北側には「祖霊社」という場所がある。
建屋は比較的質素なものであった。
調べて見るとこの場所にはかつて「香取山金剛宝寺」という真言宗の寺があったという。
この寺はこの香取神宮の神宮寺として十一面観音像を本尊として置かれていた。
しかし、明治初期の廃仏毀釈で全て取り壊され一部の仏像などが近くの寺に移されて残るのみとなったようだ。
今では祖霊社として神社で行われる葬儀などに使われているのかもしれない。

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ここは十字路の交差点に当たる場所だ。
紅葉も丁度良い雰囲気を醸し出していた

ここから真南に伸びた道の先の正面に奥宮がある。

雨乞塚:ここは聖武天皇天平4年(732)、この地が大旱魃の時祭壇を設け雨乞ひをした処である。(看板に書かれている内容)

奥宮の入口左側に「天真正伝神道流(しょうしんしょうでんしんとうりゅう)始祖飯篠長威斎(いいざさちょううさい)墓」がある。

日本最古の剣道の流儀を始めた人物だそうだ。周りを囲まれていただ、墓石は質素なものだ。
鹿島で、鹿島古流(鹿島中古流)に加え、天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新当流を開いたのが有名な塚原ト伝だ。
鹿島神宮と香取神宮は共に剣道を学ぶ人たちにとっての聖地にもなっている。

この雨乞塚の北側には「祖霊社」という場所がある。
建屋は比較的質素なものであった。
調べて見るとこの場所にはかつて「香取山金剛宝寺」という真言宗の寺があったという。
この寺はこの香取神宮の神宮寺として十一面観音像を本尊として置かれていた。
しかし、明治初期の廃仏毀釈で全て取り壊され一部の仏像などが近くの寺に移されて残るのみとなったようだ。
今では祖霊社として神社で行われる葬儀などに使われているのかもしれない。



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