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香取神宮-津宮の浜鳥居

 香取神宮の奥宮から真北に進むと利根川の川岸に木の大きな鳥居が建っています。

場所は佐原市津宮(つのみや)で津宮鳥居とか浜鳥居とか呼ばれているようです。

先日佐原の方と話した時に「津」は湊のことだとおっしゃっておりました。

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むかし、この辺りもみな香取の海とか香取の流れ海とか呼ばれていました。
鹿島神宮と香取神宮はこの内海を挟んで並んでいました。

今は霞ヶ浦も小さくなり、この湊のある場所も利根川沿いになりましたが、ここが香取神宮の参拝入口だったことをうかがわせます。

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利根川はこの辺りは流れも穏やかで静かです。
昔も絶好の船着き場だったのでしょう。

対岸は水郷地帯でその向こうに潮来があります。

来年4月に行われる式年大祭(昔は20年おき、今は12年おき)では、鹿島神宮の鳥居の所から3000人ほどで奥宮を通り、昔の参道沿いにこの津宮まで約2km程を歩いてこの場所にやってきます。
そしてこの場所から色鮮やかな船(御座船)で川を上り、佐原沖で鹿島神宮からの御座船と合い、佐原で上陸して1泊し翌日佐原の市街を通って戻ってくると言います。

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利根川沿いに堤防がありますので川岸の鳥居は少し低く見えます。
でもこれは平成14年の建造で高さは三丈一尺(9.4m)だそうです。

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ここに「香取宮」と彫られた常夜燈(1769年奉納)がありました。
船運が盛んであった明治初期まで船の目印になったようです。

しかし、この常夜灯は東日本大震災の地震で倒壊してしまったようです。
それがこのように修理復活したのでしょう。
もっとも灯籠は頭が重いので地震には弱いようです。あちこちの神社で台座と分断されていました。
香取神宮も1年ほど前までは、木々の間の空き地にたくさん置かれていたように思います。

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今は小さな船着き場ですが、水鳥がたくさん集まっていました。
カメラを構えて近づくといっせいに飛び立ちます。

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川岸側から鳥居を見上げました。
南を向いているわけですが、鳥居から太陽がまぶしく輝いていました。
時間は午前11時頃です。

この津宮の事を調べていたら気になる記事が見つかりました。

「津宮地区には、自然堤防に立地する津宮遺跡群と津宮古墳群があります。自然堤防は、利根川東遷以前の氾濫によってできた微高地で、香取駅周辺の東西に延びる幅300mほどの範囲です。標高は最大で約5mになります。

 津宮遺跡群の発掘調査では、縄文時代から中近世までの遺構や遺物が見つかっており、遺跡群の範囲が、自然堤防の標高約2mのところまで広がっていることもわかりました。」

何処が気になるかというと縄文時代からの遺跡が見つかっていますが、標高が3~5mくらいのところに広がっているようです。

縄文時代も海面はそんなに高くはなかったようです。
縄文海進というのも時期がかなり昔であるので数千年前ではせいぜい1~2m程高いくらいだったのかもしれません。

これは広畑貝塚などでも感じたことです。



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香取神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/07 18:33
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