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つらつら思うこと(7)

当ブログも少しマンネリで気分的に優れないこともあり、そんな時はついぼやきたくなる。
まあ、今日は夜空はきれいなのに、そんな気分の記事なので適当に読み流してください。

 国会で特定機密法案が成立した。

この不完全な法案をこのような違憲状態で当選した国会議員たちが裏でこそこそ談合したように秘密裏に急いで成立させたことに不安をおぼえる人は少なくないだろう。

公聴会をやるなどという自分たちの口実をつけるためだけの茶番まで行った。

どうも日本にはこのようなものが似合わない。
日本語はあいまいを良しとしていて、解釈でどうにでもなってしまうことがある。

これが官僚たちが作る法律までこのようになってしまっては困ってしまう。
今の政治家や官僚などをどうしても信頼ができない。

日本語は素晴らしい文化なのだが法律文章などがどうにも苦手な言語で、それを良い事に「どうとでも後から解釈を変えれば済むようにしてしまえ」などという声が裏で聞こえてくる。

英語は得意ではないが、日本語と比べて主語がなくては文章にならない。
日本語の文章を英語に翻訳するときに、これにはよく悩まされる。

誰がやるのかを書かないでも文章が成り立ってしまう。

話している流れの中で主語がなくても通じるだろうとか思っている場合が多い。


 日本は島国だ。

この島国が日本の文化を生み日本という国を長い間育んできた。

この島国という環境が外と隔離させ独特の文化も生まれた。

そんな日本人は勤勉で優秀であった。でもそう思っていただけかもしれない。

しかし、1億人以上の国民も農業自給率からは多すぎるともいう。

しかし、この1億という人がいるのが内需を守り、丁度バランスを保ってきた。
それが減ってくると(年寄りばかりになるのも同じ)、海外との流通なくしては需要と供給のバランスが崩れ、経済は破綻する。

年寄りが金を持っているという。何処にそんなお金持ちがいるのだろうと思うのだが。

その年寄りマネーをあてにして大借金国でも崩壊しないのだと言う。
しかしこれも時間の問題だろう。

年金も減り、税金も上がる。金持ちなどほんの少ししかいない。
庶民の生活はどんどん苦しくなっていく。

税収が支出の半分しかないのに無駄が無くならない。

2020年にプライマリーバランスを健全化させるのは国際公約だが、本当に達成させるつもりがあるのだろうか。

みんなの党の渡辺喜美が「アジェンダ」などという言葉を使いたがるが、これもとても違和感がある。
アジェンダという言葉は海外と打ち合わせをする時にはよく使うが、これは打ち合わせでどのような事を打ち合わせるかという議題を書いたものをさすと思っている。

それよりも大事なのは打ち合わせの議事録(プロトコルなど)でお互いに約束したり実行したりする事を細かく取り決める事だと思う。

これが日本人同士だとどうも議事録に変なものが多い。

官庁などで話した内容を会話調で書いたりしなければ議事録ではないなどと思っているところもある。
議会の議事録などをインターネットで見かけるがほとんどがこのパターンだ。
これは録音するのと変わらない。

交渉の議事録は簡潔に結論をお互いが納得するように作る。途中経過はあまり重要視されない。

こんなことを言ってみても仕方がないが、徐々に民族が劣化していると感じてしまうことも多い。


昨日は「ふるさと風の会」の会報をメンバーで印刷し、石岡の「まち蔵藍(丁子屋)」に持っていき、その足で瓦会の「まんまや」さんにもって行った。

ここで野菜天ぷらソバをいただき、朝日トンネルを抜けて小町の里の館に少し置いて、つくば市の北条の田村家に少しまた置かせてもらって午後3時頃に戻った。

月に1回はこんな状態だ。


IMG_9981s.jpg

瓦会のまんまやさんは前回は自転車での来客が一人あり、今回は3組7人ほどの先客があった。

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「野菜天ぷらそば」(850円) このソバはとても美味しい。

IMG_9982s.jpg

北条の「田村家」は「方丈ふれあい館」となっていて、田村家の方が土日に開いている。
町の見学に行かれたら寄ってみて下さい。

石岡の人は「大掾氏(だいじょう)」は石岡にずっと住んでいたと思っているが、将門の乱の少し後の西暦990年頃から鎌倉幕府が始まった後の1193年まではこの北条の多気山に城をかまえていた。(約200年)

その後水戸の吉田氏(馬場氏)が大掾職を継ぐが、石岡と水戸の両方を行き来していた。

府中城が昔の国府があった場所に築かれたのは1350年頃で
水戸を奪われて石岡に本当に住んだのは1429年以降だ。

まあ北条も江戸時代の筑波山参拝の門前町であったのでそんな昔の事などあまり関係ないと思っているかもしれない。
しかし、今は消えてしまった筑波山参拝の街道であった「瀬戸井街道(群馬県瀬戸井から水戸までの道)」が、この瓦会「まんまや」の前を通って、この北条と繋がっていたなどと考えることなどまずないのだろう。

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つらつら思うこと | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/12/08 18:54
コメント
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アールグレイさん
お便りありがとうございます。

城里町の小松寺というところに重盛の墓があります。
都城の歴史も今度教えて下さい。
確か平景清伝説があったように思います。石岡にもありますよ。

> 「まんまや」のトンカツ美味しいですね。

御存じなのですね。こちらに近いところにおられたのでしょうか。

> また、北条の田村氏宅のお写真を拝見し、・・・・

きっとそうだと思います。ここも竜巻の被害にあわれました。
修理して今では北条ふれあい館として頑張っておられます。
今度伺った時に聞いてみましょう。

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