行方のなまず
行方(なめがた)市の霞ヶ浦大橋入口に13年前の2000年に「道の駅たまつくり」がオープンした。
その後、出島(かすみがうら市)とつなぐ霞ヶ浦大橋が無料(2008年11月)になり、土浦との連絡道路も整備され、この道の駅周辺の開発が進み大型の商業施設も増えて来た。
鹿島鉄道は廃止になったが、茨城空港もオープンして行方もこの地域だけが元気になっているように思う。
さて橋の無料化の1年後の2009年に、地域のご当地グルメとして特産のなまずを使った行方(なまず)バーガー(なめパックン)がこの道の駅にある物産展「こいこい」で販売された。
話題性はかなりのものであったが爆発的な売れ行きとはいえないようだ。
最近は話題にあまり登らない。
西蓮寺の入口近くに「大形屋」さんという食堂があった。ここでは「うなぎ」、「鯉」などとおなじように「なまず」料理が食べられ、刺身、天ぷら、唐揚げなどで食べさせてくれる珍しいお店であった。
しかし、息子さんの代になってお店も閉店してしまったようだ。
355線バイパス沿いには今でもお店の大きな看板が残されている。
その看板の近くにもう一つ「なまず屋」という看板があるので毎回通るたびに気になっていた。

まあ、先日どんな所か見ておきたいと案内に従って霞ヶ浦湖岸につながる横道に車で入って行った。

この辺りは鯉などの養殖が盛んで、たくさんの生け簀が並んでおり、少し進んだところに「なまず屋」という看板がかかった家があった。

食堂になっているのかとも思ったがお店のかまえではない。
なまずを養殖して全国各地に卸しているのだそうです。

裏手に大きな生け簀があり、水が勢い良く注がれていた。この中になまずが養殖されているのか?

更に少し進むと霞ヶ浦湖畔に出た。

湖に突きだした桟橋では朝から釣り人が釣り糸を垂れていた。

驚いたことに沖の方にたくさんの囲いのある沖生け簀が連なっていた。
こんな沖合に並んでいるのも珍しい。
出島の先端や牛渡地区などでも沖合に生け簀が置かれているが、岸からこんな遠く離れていることはない。

ここの船溜りでは数舟のエンジン付きの小舟が駐留されていたが、しばらくして1舟が沖合目指して走って行った。
気になって調べて見た。
行方のナマズは、アメリカナマズの稚魚を霞ヶ浦で捕獲して、この沖合の生け簀(網生け簀)に4~5年たっぷり餌をあげて、これを今度は陸生け簀に移し、きれいな水(地下水)でしばらく臭みな無くなるまで置いておいてようやく出荷されるのだそうです。
前に大形屋さんで刺身もあったのだけれど気になって唐揚げをいただい思い出があります。
このように養殖された者ならきっと刺身でも大丈夫でしょう。
カツオと同じように少し生は良くないという先入観はまだありますが・・・。
なめパックン(480円ナマズバーガー)などを一度食べてみたくなりました。
それにしてもこの地は「手賀」という地名です。
常陸国風土記に
「郡より西北に向ふと提賀の里がある。昔、この地に住んでゐた手鹿といふ名の佐伯を偲んで名付けられた。里の北に香島の神を分祀した社がある。周囲の山や野は、土が肥え、栗、竹、茅などが多く繁ってゐる。
提賀の里より北に、曾尼の村がある。やはり昔この地に住んでゐたそねびこといふ佐伯の名から名付けられた。今は駅家が置かれ、曾尼の駅と呼ばれる。」
と書かれている。奈良時代の前から人が住んでいた場所で、常陸国府(石岡)から鹿島へ通じる道がひかれており、この近くに駅家(うまや)が置かれて馬が常駐していた場所があったのだ。
もちろんこの湖よりはだいぶ山側に入った通りにあったようだが。
この場所も冬の天気が良いと霞ヶ浦の先に富士山が見える。夕日に輝く富士のシルエットがなんとも美しいのだ。
(昔の記事参照:こちら)
← よろしければクリックお願いします。
その後、出島(かすみがうら市)とつなぐ霞ヶ浦大橋が無料(2008年11月)になり、土浦との連絡道路も整備され、この道の駅周辺の開発が進み大型の商業施設も増えて来た。
鹿島鉄道は廃止になったが、茨城空港もオープンして行方もこの地域だけが元気になっているように思う。
さて橋の無料化の1年後の2009年に、地域のご当地グルメとして特産のなまずを使った行方(なまず)バーガー(なめパックン)がこの道の駅にある物産展「こいこい」で販売された。
話題性はかなりのものであったが爆発的な売れ行きとはいえないようだ。
最近は話題にあまり登らない。
西蓮寺の入口近くに「大形屋」さんという食堂があった。ここでは「うなぎ」、「鯉」などとおなじように「なまず」料理が食べられ、刺身、天ぷら、唐揚げなどで食べさせてくれる珍しいお店であった。
しかし、息子さんの代になってお店も閉店してしまったようだ。
355線バイパス沿いには今でもお店の大きな看板が残されている。
その看板の近くにもう一つ「なまず屋」という看板があるので毎回通るたびに気になっていた。

まあ、先日どんな所か見ておきたいと案内に従って霞ヶ浦湖岸につながる横道に車で入って行った。

この辺りは鯉などの養殖が盛んで、たくさんの生け簀が並んでおり、少し進んだところに「なまず屋」という看板がかかった家があった。

食堂になっているのかとも思ったがお店のかまえではない。
なまずを養殖して全国各地に卸しているのだそうです。

裏手に大きな生け簀があり、水が勢い良く注がれていた。この中になまずが養殖されているのか?

更に少し進むと霞ヶ浦湖畔に出た。

湖に突きだした桟橋では朝から釣り人が釣り糸を垂れていた。

驚いたことに沖の方にたくさんの囲いのある沖生け簀が連なっていた。
こんな沖合に並んでいるのも珍しい。
出島の先端や牛渡地区などでも沖合に生け簀が置かれているが、岸からこんな遠く離れていることはない。

ここの船溜りでは数舟のエンジン付きの小舟が駐留されていたが、しばらくして1舟が沖合目指して走って行った。
気になって調べて見た。
行方のナマズは、アメリカナマズの稚魚を霞ヶ浦で捕獲して、この沖合の生け簀(網生け簀)に4~5年たっぷり餌をあげて、これを今度は陸生け簀に移し、きれいな水(地下水)でしばらく臭みな無くなるまで置いておいてようやく出荷されるのだそうです。
前に大形屋さんで刺身もあったのだけれど気になって唐揚げをいただい思い出があります。
このように養殖された者ならきっと刺身でも大丈夫でしょう。
カツオと同じように少し生は良くないという先入観はまだありますが・・・。
なめパックン(480円ナマズバーガー)などを一度食べてみたくなりました。
それにしてもこの地は「手賀」という地名です。
常陸国風土記に
「郡より西北に向ふと提賀の里がある。昔、この地に住んでゐた手鹿といふ名の佐伯を偲んで名付けられた。里の北に香島の神を分祀した社がある。周囲の山や野は、土が肥え、栗、竹、茅などが多く繁ってゐる。
提賀の里より北に、曾尼の村がある。やはり昔この地に住んでゐたそねびこといふ佐伯の名から名付けられた。今は駅家が置かれ、曾尼の駅と呼ばれる。」
と書かれている。奈良時代の前から人が住んでいた場所で、常陸国府(石岡)から鹿島へ通じる道がひかれており、この近くに駅家(うまや)が置かれて馬が常駐していた場所があったのだ。
もちろんこの湖よりはだいぶ山側に入った通りにあったようだが。
この場所も冬の天気が良いと霞ヶ浦の先に富士山が見える。夕日に輝く富士のシルエットがなんとも美しいのだ。
(昔の記事参照:こちら)


霞ヶ浦ではナマズの養殖をしているのですね。しかも、全国に出荷しているとは?
刺身も唐揚げもバーガーも、さほど欲しいとは思いませんが、ウナギが貴重品となった昨今、ナマズの蒲焼きはどんなものでしょうか?
> 霞ヶ浦ではナマズの養殖をしているのですね。しかも、全国に出荷しているとは?
> 刺身も唐揚げもバーガーも、さほど欲しいとは思いませんが、ウナギが貴重品となった昨今、ナマズの蒲焼きはどんなものでしょうか?
これは味は大分違いそうですのでかば焼きは美味しくないかも??
私もやはり食べるのは少し引いてしまいます。
売れているんでしょうかね。
でも結構大々的に養殖しているんですよ。