不思議なトンネル
国道355線を石岡から行方に向かって走っていると、途中霞ヶ浦大橋の手前で左に旧道との分かれ道がある。
この分かれ道(玉造町浜の信号)の下を小さなトンネルが置かれている。
夜通ると明かりがトンネルに灯り不思議な気がする。
何でここにトンネルが出来たのだろうか?
確かにこの355号線の湖岸寄りを走るバイパスを通した時に旧道を横断していた生活道路が分断され、これをトンネルで補っているものだと思うが、いったい誰が通るのだろうと不思議に思っていた。

以前troyさんのブログでこの先の大橋手前にある「霞ヶ浦ふれあいランド」を通る湖岸のサイクリングロードにも同じようなトンネルが紹介されていた。
私はこのサイクリングロードではなくこちらのトンネルだと勘違いしたが、改めて調べてみたくなって手前に車を置いて歩いてみた。
人と自転車や農機具車などは通れそうだ。
このトンネルに夜になると蛍光灯が点き、国道側からも一瞬不思議な空間に見えるのだ。

内部には色あざややかな動物やキャラクタの絵が描かれていて、子供たちにも楽しい空間でもあるようだ。。

トンネルは2か所連なるようにあり、一つは国道355線下、もう一つは旧道の下だ。
でもこのトンネルの20mくらい先の信号の所には横断歩道があるのです。

このような絵が描かれているのだから子供たちが通る道なのだろう。
では何処につながっているのだろう。

左が355線(バイパス)下のトンネルで浜の街につながり、そのまま行けば大橋の方に行けそうだ。
右は玉造の街を通り西蓮寺などの方の山裾を走る旧道下を通るトンネルである。
この道は何処に続くのだろう?

この道を通って山の方に登って行く道を進むと山の上の方に「玉造西小学校」が建っていた。
生徒数が6学年で41名しかいない小さな学校だ。
3・4年生が一緒で1クラス、5・6年生も一緒で1クラスで、6学年で4クラスしかないようだ。
西小学校というように昔からあった学校ではなく昭和47年に学区編制替えが行われたときに創設されたという。
しかしながらこの学校も来年3月で閉校が決まっているようだ。
段々さびしくなります。
このようなトンネルも思い出の一つに残ってくれるといいですね。

小学校の前の塚に大きな碑が立ってきます。
「猿田彦大明神奉養之碑」と書かれています。
猿田彦はわかりますが、奉養とはどういうことでしょうか?
近くにある大宮神社の祭礼(こちら)と関係しているのかもしれません。
← よろしければクリックお願いします。
この分かれ道(玉造町浜の信号)の下を小さなトンネルが置かれている。
夜通ると明かりがトンネルに灯り不思議な気がする。
何でここにトンネルが出来たのだろうか?
確かにこの355号線の湖岸寄りを走るバイパスを通した時に旧道を横断していた生活道路が分断され、これをトンネルで補っているものだと思うが、いったい誰が通るのだろうと不思議に思っていた。

以前troyさんのブログでこの先の大橋手前にある「霞ヶ浦ふれあいランド」を通る湖岸のサイクリングロードにも同じようなトンネルが紹介されていた。
私はこのサイクリングロードではなくこちらのトンネルだと勘違いしたが、改めて調べてみたくなって手前に車を置いて歩いてみた。
人と自転車や農機具車などは通れそうだ。
このトンネルに夜になると蛍光灯が点き、国道側からも一瞬不思議な空間に見えるのだ。

内部には色あざややかな動物やキャラクタの絵が描かれていて、子供たちにも楽しい空間でもあるようだ。。

トンネルは2か所連なるようにあり、一つは国道355線下、もう一つは旧道の下だ。
でもこのトンネルの20mくらい先の信号の所には横断歩道があるのです。

このような絵が描かれているのだから子供たちが通る道なのだろう。
では何処につながっているのだろう。

左が355線(バイパス)下のトンネルで浜の街につながり、そのまま行けば大橋の方に行けそうだ。
右は玉造の街を通り西蓮寺などの方の山裾を走る旧道下を通るトンネルである。
この道は何処に続くのだろう?

この道を通って山の方に登って行く道を進むと山の上の方に「玉造西小学校」が建っていた。
生徒数が6学年で41名しかいない小さな学校だ。
3・4年生が一緒で1クラス、5・6年生も一緒で1クラスで、6学年で4クラスしかないようだ。
西小学校というように昔からあった学校ではなく昭和47年に学区編制替えが行われたときに創設されたという。
しかしながらこの学校も来年3月で閉校が決まっているようだ。
段々さびしくなります。
このようなトンネルも思い出の一つに残ってくれるといいですね。

小学校の前の塚に大きな碑が立ってきます。
「猿田彦大明神奉養之碑」と書かれています。
猿田彦はわかりますが、奉養とはどういうことでしょうか?
近くにある大宮神社の祭礼(こちら)と関係しているのかもしれません。


石岡市の北小学校もこういったトンネルがあったような気がします。
しかし、道路を渡るよりは交通上は安全ですが、今は不審者の待ち伏せのほうが 潜伏警戒として怖い場所となりそうですね。
~ ~ ~ ~
「奉養(ほうよう)」はどちらかと言えば、古語になるのでしょうね。
目上の方を我が手で養うように奉り敬い尽くす、とでも言いましょうか。
常陸国には、なにゆえか、天孫降臨時に名をはせる猿田彦の末裔と言われる「猿田氏」がありますので、その関連でありましょうか(^^)
この碑がどちらの方角を向いているかでも、なにやらわかりそうですね(^^)
いつも貴ブログ、大変楽しみにさせて頂いております。
> 道路を渡るよりは交通上は安全ですが、今は不審者の待ち伏せのほうが 潜伏警戒として怖い場所となりそうですね。
そうなんですよね。ご父兄の方からも同じような話は出ているようです。このため中の蛍光灯を明るくしているのですが夜は通りたくないですよね。
結構不思議な空間です。すぐ近くに信号もあるので少し遠回りしていくのでしょうね。
農機具の運搬には必要かもしれません。
> 「奉養(ほうよう)」はどちらかと言えば、古語になるのでしょうね。
> 目上の方を我が手で養うように奉り敬い尽くす、とでも言いましょうか。
ありがとうございます。
> 常陸国には、なにゆえか、天孫降臨時に名をはせる猿田彦の末裔と言われる「猿田氏」がありますので、その関連でありましょうか(^^)
猿田さんは常陸太田の方に多くおられると聞きました。
また石岡の少し先には猿田小学校ってありますね。千葉の銚子の方にも多いですね。
> この碑がどちらの方角を向いているかでも、なにやらわかりそうですね(^^)
道路の右手が小学校、その反対側に碑があります。
ですから人は東から西向き(北西?、石岡方面)を向く事になりますね。
> いつも貴ブログ、大変楽しみにさせて頂いております。
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。