香取神宮旧参道
香取神宮も昔は香取の海(現霞ヶ浦)を舟でお参りに行った。
その時の湊が香取市津宮だといわれ、ここに大きな鳥居がある。(先日紹介しました:こちら)
この鳥居を見た日訪れたのはこの場所だけだったのですが、香取神宮の祭礼が神宮の奥宮からこの津宮に行列で行って舟に乗るとしり、この昔の参道だった場所を見てみたいと天気が悪い日でしたが少し散策してみました。
津宮からほぼ真南へ真直ぐ神宮の奥宮に向かう道があります。
その沿道にある興味深い神社を見て行きました。

沖宮神社

忍男(おしお)神社。
香取神宮の摂社の一つで「東宮」と呼ばれる。
祭神は、伊邪那岐神・級長津彦命・倉稲魂命・長津戸辺命
忍男神は古事記ではイザナギとイザナミが国産みをなした後に最初に産んだ男の神だと言う。

忍男神社入口の石碑「香取大神道」と刻まれています。

忍男神社の社殿。比較的こじんまりした神社ですが、どこかに威厳を感じます。

膽男(まもりお)神社
やはり香取神宮の摂社の一つで忍男神社の少し西側にあるので「西宮」といわれる。
祭神 大己貴命・綿津見命
社殿は忍男神社とほとんど同じような造りです。「膽」は体の一部に使われる「胆」の字と意味は同じです。

忍男神社から少し進んで、成田線を越えたところに小さな朱色の橋がある。
通称「草履抜橋」(じょんぬきばし、くつぬきはし)というそうで、舟でついた勅使の役人たちは津宮の鳥居をくぐりここまで来て、履物を取り替え、身支度を整えたことからこの名前がついたと言います。
来年4月に12年に1度の祭礼が行われます。この時にはきっとここを通るのでしょう。


橋を渡って少し行くと右側に山の上に向かった石段があり、入口に鳥居があります。
この山の上には「桝原稲荷神社」があります。
天気が悪かったし、上の道もあまり良くなさそうなので上には登りませんでした。
この山は「神道山」と言われ、「神道山古墳群」が存在します。
そして、香取神宮に近いので物部氏の古墳があるのではないかとも言われたようです。真偽のほどはわかりません。
津宮から香取神宮までは約2kmの道のりですから歩いても30分位です。でも雨が降ってきましたのでここで引き返しました。
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その時の湊が香取市津宮だといわれ、ここに大きな鳥居がある。(先日紹介しました:こちら)
この鳥居を見た日訪れたのはこの場所だけだったのですが、香取神宮の祭礼が神宮の奥宮からこの津宮に行列で行って舟に乗るとしり、この昔の参道だった場所を見てみたいと天気が悪い日でしたが少し散策してみました。
津宮からほぼ真南へ真直ぐ神宮の奥宮に向かう道があります。
その沿道にある興味深い神社を見て行きました。

沖宮神社

忍男(おしお)神社。
香取神宮の摂社の一つで「東宮」と呼ばれる。
祭神は、伊邪那岐神・級長津彦命・倉稲魂命・長津戸辺命
忍男神は古事記ではイザナギとイザナミが国産みをなした後に最初に産んだ男の神だと言う。

忍男神社入口の石碑「香取大神道」と刻まれています。

忍男神社の社殿。比較的こじんまりした神社ですが、どこかに威厳を感じます。

膽男(まもりお)神社
やはり香取神宮の摂社の一つで忍男神社の少し西側にあるので「西宮」といわれる。
祭神 大己貴命・綿津見命
社殿は忍男神社とほとんど同じような造りです。「膽」は体の一部に使われる「胆」の字と意味は同じです。

忍男神社から少し進んで、成田線を越えたところに小さな朱色の橋がある。
通称「草履抜橋」(じょんぬきばし、くつぬきはし)というそうで、舟でついた勅使の役人たちは津宮の鳥居をくぐりここまで来て、履物を取り替え、身支度を整えたことからこの名前がついたと言います。
来年4月に12年に1度の祭礼が行われます。この時にはきっとここを通るのでしょう。


橋を渡って少し行くと右側に山の上に向かった石段があり、入口に鳥居があります。
この山の上には「桝原稲荷神社」があります。
天気が悪かったし、上の道もあまり良くなさそうなので上には登りませんでした。
この山は「神道山」と言われ、「神道山古墳群」が存在します。
そして、香取神宮に近いので物部氏の古墳があるのではないかとも言われたようです。真偽のほどはわかりません。
津宮から香取神宮までは約2kmの道のりですから歩いても30分位です。でも雨が降ってきましたのでここで引き返しました。


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