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八木蒔周辺(2)-道路元標

 この行方市玉造の少し手前の「八木蒔」集落は355線より霞ヶ浦沿いに広がっていて、旧道もこちらにあった。
その旧道沿いに「立花村道路元標」が置かれた場所があった。

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字は薄くなっており読みにくいのですが、道路元標ですから、この場所に村の中心となる何かがあったことになります。

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ここは「八木蒔地区学習センター」となっています。

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そしてその庭に「忠魂碑」と大きな石造りの塔が立っています。
地方をウロウロしていると同じようなものに各地で出会います。
まったく同じような形のものは銚子の方にもありました。

この形を見ると昔小学校に置かれたという奉安殿(天皇の写真と教育勅語などを入れていた)に似ています。

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でも脇には先の戦争での戦没者のお名前がたくさん彫られていました。


この立花村の歴史を調べてみました。(Wikipediaより記事内容を転載します)

村名は「立花郷」に由来するとあります。昔の立花郷=橘郷からきているようです。

1889年(明治22年):羽生村・八木蒔村・沖須村・浜村が合併して立花村が誕生
1955年(昭和30年):玉造町・手賀村・玉川村・現原村、立花村が合併し玉造町が誕生し立花村は消滅

この八木蒔地区学習センターにはどうやら昔のこの立花村役場があったようです。

さて、ここでこの話は終わりません。この立花村が何故橘村とならなかったのか?
実はもう一つ近くに「橘村」があったのです。

こちらも立花村と同じ明治22年4月1日に誕生しました。

橘村は今の行方市ではなくもう少し西寄りの小美玉市です。
与沢村・山野村・幡谷村・川戸村・外之内村・倉数村が合併して誕生しました。
これもこの辺りが平安時代に歌にも詠まれた橘郷(立花郷)だったのです。

こちらの橘村も昭和29年に小川町となり消滅しました。

そのためこの辺りの記事を今までのものを含め、今後橘郷としてまとめておくことにします。

何もないところですが、源頼朝や鹿島神宮などと深くかかわりを持った地域としてもう少し掘り下げて見たいと思います。



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旧鹿島鉄道沿線 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/28 18:14
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