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天狗の話 - 猿田彦

 さお今年も3日目、地域・歴史ネタのスタートです。

最初は「天狗の話」から数回にわたって知っていることを紹介します。

今日は天狗の姿の原型と言われている「猿田彦」のお話です。

猿田彦は日本書紀などの神話に出てくる神様で、神が高天原に降り立つ時に、下りる場所から葦原中国(あしはらのなかつくに)までの道案内の神として登場します。
神が降りたのは宮崎県高千穂、そして葦原中国は出雲あたりを指すと思われていますが、神話ですから諸説あり、神の国から日本の本土への道案内との解釈もあるようです。

今日は天狗の話ですから、この神話はさておいて、猿田彦命の姿が、天狗そっくりなのです。

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上の写真は石岡のお祭りの祭礼に出てくる行列の先頭を行く猿田彦です。
まさに天狗ですね。
もっとも、お祭りの時はこの前に「富田のささら」という変わった三匹の獅子が露払いをします。

sarutahiko02.jpg

上の写真は「染谷十二座神楽」に登場する猿田彦です。これも神楽の最初に登場します。

神話に出てくる猿田彦は「鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のようだ」とあります。
「咫(あた)」は長さの単位で、直径1尺の円周の長さを4咫としたという。
1咫≒0.8尺という。
中国後漢時代の1尺は約23cmほどだというので、背の高さは約161cm、鼻長は129cmとばかに鼻が長い。
もっとも長いことを誇張したものと思われるし、目にいたっては八咫鏡というので直径が50cm近い円になってしまう。
もっともこの八咫というのは単に大きいというように使われているそうで、大きさをまともに考えてもしょうがない。

私も、少し興味を持ってこの猿田彦を調べてみた。
そうすると、面白いことが判ってきた。何事も知らないことが多いですね。

それは、猿田彦が天照大神の命により地上に降り立った神(邇邇芸尊)の道案内を終えると、天宇受売命(あめのうずめ)が猿田彦の生まれ故郷である伊勢国の五十鈴川の川上について行くのです。
そして名前を「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになるのですが、どうもこの女性の姿がエロっぽく書かれてもおり、二人は結婚したと考えられています。

猿田彦は伊勢の海でおぼれ死んでしまいますが、日本の神話は単純なようでわかりにくいですね。

さて、猿田彦はこのように伊勢より南側の行動しかないのですが、ここ常陸にも祀られたところが多く存在します。またこのようにお祭りなどで登場します。

石岡の大覚寺の少し先を羽黒の方に進んだところに桜川市「猿田」という地名があります。
下の写真はそこの小学校です。
全校生徒54人です。1学年10人前後しか生徒がいません。きっとのびのびと育っているのでしょうね。

sarutahiko03.jpg

猿田と言う地名は実は銚子にもあります。
銚子にも時々出かけていますが通る時に見かけてやはり気になりました。

もっとも、私の娘にいわせれば「こんな名前の小学校ではかわいそう」とも言っていました。
何時の間に猿が嫌われてしまったのでしょうか?

猿田彦は道案内の神であるので「道祖神」として考えられたり江戸時代の庚申講との関係もいわれてきています。

ところで、常陸には「猿田」さんという名字が多いそうです。常陸大宮周辺に多いと聞きます。

昔の名前などを考えるときに漢字から考えるとわからないことが良くあります。
発音などを調べてみるのも良いのかもしれません。
「去る」「佐瑠」「佐太」「戯人」や琉球語?縄文語?などとの関連も面白そうですね。

どちらにしろ、私には詳しくはわかりません。
知っているのは猿田彦が天狗の顔のようだということだけです。

ではまた続きは明日へ。
 
 

天狗の話 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/01/03 16:39
コメント
No title
私の息子も、猿田小学校に通っていました。
当時、全校生徒8人でした。
今は、閉校になっています。
地名が、猿田町。近くに猿田神社があります。
祭神は、猿田彦からきているようです。
昔、私も七五三の時、参拝に来ています。

近くでは「平家の落武者伝説」、土御門家と平田篤胤、晴明のもう一つの出生候補地としての八郷吉生を、ブログでそのうちアップするつもりです。
ほつまザブディエル 様
銚子の猿田小学校も廃校になってしまったのですね。
記事によると海上小学校に統合されたとなっていました。
垣根長者屋敷のところでしょうか。

猿田神社は歴史の古いなかなか由緒ある神社ですよね。
何度か私も訪れました。

八郷吉生(よしう)の晴明誕生伝説はあまり詳しく知りません。
記事を楽しみにしています。

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