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八木蒔八幡神社と円勝寺

 国道355線が旧鹿島鉄道と平行して通っているが、今まで私はこの鉄道に乗ったことがない。
石岡に来た時はすでに廃止がほぼ決まっていて、まだ存続運動をしているのを見ていただけである。

そのため、八木蒔などという地名や駅も知らなかった。

八木蒔(やきまき)の名前を初めて見たのは355号国道を鉾田・潮来・香取方面に走っていて玉造の街に行く手前にあるこの神社と寺を見物した時だった。

これも、もう3年以上前になる。

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今、八木蒔周辺をまとめるにあたって、やはりこの寺と神社を入れておかねばならないと思う。
八木蒔の集落は主に355線の霞ヶ浦よりにあり、この神社が少し高台になっている森の中にあった。
その神社の入口に後から国道が通るようになった。

神社は鬱蒼とした木立の中にある。

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上野説明では「八木蒔」「倉数」「羽生」「沖洲」地区の総鎮守と定めたのは鎌倉時代の頼朝の時代という。
今の行政区分では「倉数」は小美玉市、その他の三地区は行方市になる。

今回八木蒔の周辺を紹介しているがここを「橘郷(たちばなごう)」としてまとめているが、この橘郷は万葉集や吾妻鏡に「橘郷」としてその場所がでていることを意識したためである。

鎌倉時代には頼朝の直轄の領地となり、鹿島神宮へ寄進したとなったようである。

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この神社(八幡神社)の入口参道はまっすく長く続いており、昔は流鏑馬などの行事も行われていたともいう。

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八幡神社本殿。大永2年(1522年)造営。市指定有形文化財。

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神社のすぐ隣に天台宗の円勝寺がある。かなり古くからあった(大同年間)ともいわれるが、隣の八幡神社と一体となった時期もあったように感じる。


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今日は朝から銚子に出かけ、夜7時半過ぎに戻ってきました。
やはり少し疲れました。
記事も中途半端ですが、これくらいで終わりにします。

前にもこの神社や寺を書こうとした事がありましたが書けずにいたのにまた満足に書けません。
しょうがないですね。

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橘郷 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/01/23 21:48
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