銚港神社
昨日紹介した飯沼観音「圓福寺」は古くから信仰されてきた寺であるが、それに隣接してこの「銚港(ちょうこう)神社」がある。
この神社は元は「龍蔵神社(龍蔵権現)」と呼ばれ、奈良時代初期の720年頃の創建ともいわれているそうですが、圓福寺と神仏混合として信仰されてきたという。
それが明治初期の神仏分離で圓福寺とわかれ、銚港神社と名前も変わったのだという。
神仏分離は各地で見て来たが、多くは神社の方が大きくなり、寺は壊されたり復興しても小さなものとなっていたのだが・・・。ここは神社が小さくて、寺の方が大きい。

こちらが神社の入口で、その左側が圓福寺(飯沼観音)だ。

祭神は、闇淤加美神(くらおかみのかみ)・志那都比(級津彦)古神(しなつひこのかみ)・志那都比売(級津姫)神(しなつひめのかみ)・阿遇突智神(かぐづちのかみ)などを祀る。
地元では「産土(うぶすな)さま」と呼ばれる神社だ。

圓福寺とともに太平洋戦争で消滅したが、その後の昭和33年に復興した。
社殿正面の銚港神社の署は吉田茂が総理大臣であった時に書いた揮毫だという。

銚子式年神幸祭ではこの神社の前でも神輿の競演が行われると言う。

古い柱の一部?が残されており、真ん中の柱には「龍蔵権・・」の文字が読めます。

境内にある金毘羅神社です。海運の守り神ですね。
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この神社は元は「龍蔵神社(龍蔵権現)」と呼ばれ、奈良時代初期の720年頃の創建ともいわれているそうですが、圓福寺と神仏混合として信仰されてきたという。
それが明治初期の神仏分離で圓福寺とわかれ、銚港神社と名前も変わったのだという。
神仏分離は各地で見て来たが、多くは神社の方が大きくなり、寺は壊されたり復興しても小さなものとなっていたのだが・・・。ここは神社が小さくて、寺の方が大きい。

こちらが神社の入口で、その左側が圓福寺(飯沼観音)だ。

祭神は、闇淤加美神(くらおかみのかみ)・志那都比(級津彦)古神(しなつひこのかみ)・志那都比売(級津姫)神(しなつひめのかみ)・阿遇突智神(かぐづちのかみ)などを祀る。
地元では「産土(うぶすな)さま」と呼ばれる神社だ。

圓福寺とともに太平洋戦争で消滅したが、その後の昭和33年に復興した。
社殿正面の銚港神社の署は吉田茂が総理大臣であった時に書いた揮毫だという。

銚子式年神幸祭ではこの神社の前でも神輿の競演が行われると言う。

古い柱の一部?が残されており、真ん中の柱には「龍蔵権・・」の文字が読めます。

境内にある金毘羅神社です。海運の守り神ですね。


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