玉造駅跡(鹿島鉄道)
昨年も何回かに亘って、もう7年も前に廃線となった鹿島鉄道(石岡~鉾田)の跡を見てきた。
左側のカテゴリに今までの記事をまとめた。
そして今回はこれに途中での最大の駅「玉造駅」跡を見に行った。

玉造駅があった場所は大きな空き地となったままですぐに分かった。

駅のトイレとして造ったものだと思うが、これは比較的新しいく現在も使われていた。

駅から正面の商店街を眺めた。
現在も営業しているお店が多いが、駅が無くなりさみしい通りになってしまったようだ。

駅の入口にあったコイのモニュメントが残されていた。
霞ヶ浦の鯉がこの町でも名産だったようだ。
これも鯉ヘルペスでほとんどがダメになり、今では復活したが半分程に減ってしまったようである。

浜駅の方向は線路のあった部分は盛り土されていたようでそのまま空間として残っていた。
この方向に霞ヶ浦がある。
浜駅までは霞ヶ浦に沿って線路はあったが、そこから玉造は内陸側に90度曲がっていたようだ。
逆の鉾田方面は草に覆われて見通すことは出来なかった。

今はこの場所には「玉造駅」というバス停があり、自転車置き場が置かれていた。

玉造の街の方に進んで駅の方を振り返った。この正面突きあたりが駅のあった場所だ。

その突きあたりの駅の所を道は右に曲がっていて、そのまま進むと線路をまたいで新撰組所縁の地として売り込んでいる「芹沢」の方に行く。
この道路上の線路はそのまま残っていた。
そして、取り外されたコンクリート製の枕木がうず高く積まれていた。


玉造駅方面をながめたところ。
さて、行方市玉造は今有る試みをしている。農地法を緩めた特区の設置だ。
霞ヶ浦大橋を渡り、道の駅周辺からの通り沿いの再開発が進み大型店がどんどん進出してきている。
この駅前はさみしくなっているが、大型の商業開発もこのように鉄道も無くなれば必要だと思う。
昭和27年に制定された「農地法」が硬直化された行政に今では弊害あって益なしと言えるのではないか。
農地法の目的と書かれた所を抜粋してみます。
「この法律は、国内の農業生産の基盤である農地が現在及び将来における国民のための限られた資源であり、かつ、地域における貴重な資源であることにかんがみ、耕作者自らによる農地の所有が果たしてきている重要な役割も踏まえつつ、農地を農地以外のものにすることを規制するとともに、農地を効率的に利用する耕作者による地域との調和に配慮した農地についての権利の取得を促進し、及び農地の利用関係を調整し、並びに農地の農業上の利用を確保するための措置を講ずることにより、耕作者の地位の安定と国内の農業生産の増大を図り、もつて国民に対する食料の安定供給の確保に資することを目的とする。 」
本文を読んでみてもまったく古くて、いろいろな事をやりたくてもこれを制限する以外に何もないように思う。
(これは良く調べていないので内容が違っているかもしれません。内容は各自お調べください。)
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左側のカテゴリに今までの記事をまとめた。
そして今回はこれに途中での最大の駅「玉造駅」跡を見に行った。

玉造駅があった場所は大きな空き地となったままですぐに分かった。

駅のトイレとして造ったものだと思うが、これは比較的新しいく現在も使われていた。

駅から正面の商店街を眺めた。
現在も営業しているお店が多いが、駅が無くなりさみしい通りになってしまったようだ。

駅の入口にあったコイのモニュメントが残されていた。
霞ヶ浦の鯉がこの町でも名産だったようだ。
これも鯉ヘルペスでほとんどがダメになり、今では復活したが半分程に減ってしまったようである。

浜駅の方向は線路のあった部分は盛り土されていたようでそのまま空間として残っていた。
この方向に霞ヶ浦がある。
浜駅までは霞ヶ浦に沿って線路はあったが、そこから玉造は内陸側に90度曲がっていたようだ。
逆の鉾田方面は草に覆われて見通すことは出来なかった。

今はこの場所には「玉造駅」というバス停があり、自転車置き場が置かれていた。

玉造の街の方に進んで駅の方を振り返った。この正面突きあたりが駅のあった場所だ。

その突きあたりの駅の所を道は右に曲がっていて、そのまま進むと線路をまたいで新撰組所縁の地として売り込んでいる「芹沢」の方に行く。
この道路上の線路はそのまま残っていた。
そして、取り外されたコンクリート製の枕木がうず高く積まれていた。


玉造駅方面をながめたところ。
さて、行方市玉造は今有る試みをしている。農地法を緩めた特区の設置だ。
霞ヶ浦大橋を渡り、道の駅周辺からの通り沿いの再開発が進み大型店がどんどん進出してきている。
この駅前はさみしくなっているが、大型の商業開発もこのように鉄道も無くなれば必要だと思う。
昭和27年に制定された「農地法」が硬直化された行政に今では弊害あって益なしと言えるのではないか。
農地法の目的と書かれた所を抜粋してみます。
「この法律は、国内の農業生産の基盤である農地が現在及び将来における国民のための限られた資源であり、かつ、地域における貴重な資源であることにかんがみ、耕作者自らによる農地の所有が果たしてきている重要な役割も踏まえつつ、農地を農地以外のものにすることを規制するとともに、農地を効率的に利用する耕作者による地域との調和に配慮した農地についての権利の取得を促進し、及び農地の利用関係を調整し、並びに農地の農業上の利用を確保するための措置を講ずることにより、耕作者の地位の安定と国内の農業生産の増大を図り、もつて国民に対する食料の安定供給の確保に資することを目的とする。 」
本文を読んでみてもまったく古くて、いろいろな事をやりたくてもこれを制限する以外に何もないように思う。
(これは良く調べていないので内容が違っているかもしれません。内容は各自お調べください。)


現役時代、この駅では下車したことはありませんでしたが、元駅跡だと思うとあまりにも閑散としていてさびしいですね。。。
廃線からもうすぐ7年になるようです。
> こんばんは。玉造駅の駅舎は解体されたという話は聞いていましたが、トイレはそのまま残されてるようですね。入り口に立ってるイラスト入り看板(おそらく、”頑張れカシテツ”の時のですね)を見ると、切ないです
やはりさみしいですよね。漂う空気感が何かやるせない感じです。
> 現役時代、この駅では下車したことはありませんでしたが、元駅跡だと思うとあまりにも閑散としていてさびしいですね。。。
今の姿もそのうち変わるかもしれません。残しておくのもそれも今の記憶として残されるでしょう。
湊線は頑張って欲しいですね。
やはりあそこくらい過疎で、産業も原発に依存度がどんどんあがっていくところではバスに変わってしまうのも仕方ないのでしょう。それだけ昔がいかに栄えていたかがわかります。 でも記録は残しておきたいですね。
こういう形で検証されているのもすばらしいと思います。こちらでは鶴見線が頑張っていますが、もともと近所で延長的に北の方面へ行く予定だった敷地はもうヤメで住宅になってしまいました。
> 下北半島の陸奥の街で一昨年廃線の跡を見つけました。聞いたら、以前は電車が走っていたと。
都会では電車も無くなりませんが、普通に経営していると地方ではやっていけないようです。
やはり先を見据えた経営が必要なのですね。
下北の方も同じでしょうね。
いま関東では茨城の「ひたちなか海浜鉄道」、千葉県の「いすみ鉄道」などが社長さんを外から募集してアイデアで客集めをしていますね。
鉄道が無くなると急激にさみしくなってしまうようですので、なんとか頑張ってやっていただきたいと思っています。
> でも記録は残しておきたいですね。
> こういう形で検証されているのもすばらしいと思います。こちらでは鶴見線が頑張っていますが、もともと近所で延長的に北の方面へ行く予定だった敷地はもうヤメで住宅になってしまいました。
廃線から7年経つのですが、あっという間に記憶に残らなくなってしまうかもしれません。
写真というのはその時に価値がなくてもきっと後から価値が出てくるものがあると思います。
生意気ですがそんなふうに役に立てればうれしいことです。
玉造の方には自転車で遠征することがありますが、行徳から遠いもので急いで通り過ぎるだけです。たしか、百里基地祭の帰りに通ったはずの道です。駅舎だけが残っている風景は十勝に行った時にもみかけました。「幸福」駅などもそうで、観光に活かしているものの周囲は寂しいものです。それらを自転車の上から見る度に思うのは、国土の均衡ある発展とは、どうあるべきなのだろうということです。少子高齢化や人口の都市集中に対して、ささやかな民間の知恵は古い法律に妨げられているようで、脱力感に襲われますね。官も民も地方をどのような姿にしていくか試行錯誤なのでしょう。時間が過ぎて地域社会が崩壊する前に、何らかの均衡点を見つけたいですね。(←偉そうなことを行ってますね^^;)
今、雪は小降りですが大分白く積っています。
やはり都会に比べたら多いですね。これからどれくらい積るのか心配です。
今日はこれから「風の会」の印刷と「おはなし劇場」。
こちらも人はほとんど集まらないでしょうね。
> 玉造の方には自転車で遠征することがありますが、行徳から遠いもので急いで通り過ぎるだけです。
確かに百里からは近い場所ですので近くを通られるのだと思います。
でもこうして昔の駅の場所は街道からは奥に引っ込んでいるので目的がなければ見かけることもほとんどありません。
> 「幸福」駅などもそうで、観光に活かしているものの周囲は寂しいものです。
昔にたしかキップがはやりましたね。今は観光の駅跡だけではさみしいですね。
子供達の受験も関係なくなりこれらの駅がどうなっているかも関心が無くなりました。
> それらを自転車の上から見る度に思うのは、国土の均衡ある発展とは、どうあるべきなのだろうということです。
難しいですが、規制にのっかって利益を受ける団体があり、その票を目当てに議員たちが本当に必要な政策を進めることが出来ないでいることだと思います。
若い人が何でも良いから選挙に行けば制作も変えざるを得ないように思います。
> 官も民も地方をどのような姿にしていくか試行錯誤なのでしょう。時間が過ぎて地域社会が崩壊する前に、何らかの均衡点を見つけたいですね。
本当にそうですよね。こちらは都会に仕事場を持たないので田舎暮らしですが、この石岡も都会と田舎の中間くらいの中途半端な状態で困るのですが、本当はやれることがたくさんあるのでしょうね。
またこちらにもお遊びに来て下さい。