又見神社(1)-香取神宮摂社
香取神宮を見ていて、鹿島神宮との比較などをしていたが、この香取の摂社をまだ一部しか見ていないことに気がついた。
香取神宮の摂社は全部で9社(境内3社、境外6社)あり、
・鹿島新宮社および匝瑳神社の境内2社(こちら)
・境内近くにある奥宮(こちら)、
・千葉東部に点在している側高神社の元社(こちら)
・元香取のような古社である大戸神社(こちら)、
・旧参道沿いにある忍男神社と膽男神社(こちら)、
・香取神宮の神官「香取氏」の祖が祀られている又見神社
・返田神社
の9社である。
このうちまだ又見神社と返田神社は訪れていない事に気がついた。
ということで先日まず「又見神社」に立寄った。
佐原の街の方から香取神宮への道には入口に1つ大きな鳥居がある。そこを通過して数百m進み香取神宮入口までの丁度中間くらいで香取の森の手前の山の方(左手)に入る細い道がある。

しばらく進み上り坂を少し進むと左手に深い切り通しの道があった。
昔の参拝の入口でここから登って行った所に又見神社があるのだろうと見当をつけた。

この道はどうやら今はほとんど使われておらず、そのまま上までのぼる事はできそうにない。
それにしても古そうな地層がむき出しになっている。

この切り通し道はあきらめて、車道をそのまま進むと少しカーブして登った先に神社の鳥居があった。

参道階段の脇にはかなりの古木がある。

御祭神は天苗加命「香取大神の御子神」にして相殿に武沼井命「鹿島大神の御子神」天押雲命「天児屋根命の御子神」を奉祀す。当社は香取神宮の摂社にして御祭神に因みて往古は若宮「この地名今は若久しと記す」と申せしが、この地に遷座せるを以て、又見の宮と稱するに至れり。
「天苗加命(あめのなえますのみこと)は日本の神で、香取神宮の神職首座(大宮司、大禰宜)を代々つとめる香取氏の祖神である。(天)苗益命、朝彦命、朝彦ノ命とも称し、物部小事や天太玉命あるいは天日鷲命かその子の大麻比古命(麻比古命)の別名との説も。・・・・・また、安房神社の極めて近くに香取神社(梶取神社)が大正5年までは存在していたが、その祭神は経津主神ではなく、天富命に従ってこの地に来たと言われる宇豆毘古(槁根津日子)だったという。」(Wikipediaより)
どうも面白そうなことが描かれている。
でもよく理解できない。
安房は四国の阿波からやってきた民族が開拓した地であり、阿波忌部氏の祖が天日鷲命とされる。

本殿(天苗加命「香取大神の御子神」を祀る)
慶長12年(1607)造営され、元禄13年(1701)に修繕されたという

本殿の左側にあるのが「相殿」(武沼井命「鹿島大神の御子神」天押雲命「天児屋根命の御子神」を祀る)
この天児屋根命は鹿島神宮の中臣氏(藤原氏)の祖神であり、春日大明神です。
(記事は明日に続きます)
香取神宮の摂社は全部で9社(境内3社、境外6社)あり、
・鹿島新宮社および匝瑳神社の境内2社(こちら)
・境内近くにある奥宮(こちら)、
・千葉東部に点在している側高神社の元社(こちら)
・元香取のような古社である大戸神社(こちら)、
・旧参道沿いにある忍男神社と膽男神社(こちら)、
・香取神宮の神官「香取氏」の祖が祀られている又見神社
・返田神社
の9社である。
このうちまだ又見神社と返田神社は訪れていない事に気がついた。
ということで先日まず「又見神社」に立寄った。
佐原の街の方から香取神宮への道には入口に1つ大きな鳥居がある。そこを通過して数百m進み香取神宮入口までの丁度中間くらいで香取の森の手前の山の方(左手)に入る細い道がある。

しばらく進み上り坂を少し進むと左手に深い切り通しの道があった。
昔の参拝の入口でここから登って行った所に又見神社があるのだろうと見当をつけた。

この道はどうやら今はほとんど使われておらず、そのまま上までのぼる事はできそうにない。
それにしても古そうな地層がむき出しになっている。

この切り通し道はあきらめて、車道をそのまま進むと少しカーブして登った先に神社の鳥居があった。

参道階段の脇にはかなりの古木がある。

御祭神は天苗加命「香取大神の御子神」にして相殿に武沼井命「鹿島大神の御子神」天押雲命「天児屋根命の御子神」を奉祀す。当社は香取神宮の摂社にして御祭神に因みて往古は若宮「この地名今は若久しと記す」と申せしが、この地に遷座せるを以て、又見の宮と稱するに至れり。
「天苗加命(あめのなえますのみこと)は日本の神で、香取神宮の神職首座(大宮司、大禰宜)を代々つとめる香取氏の祖神である。(天)苗益命、朝彦命、朝彦ノ命とも称し、物部小事や天太玉命あるいは天日鷲命かその子の大麻比古命(麻比古命)の別名との説も。・・・・・また、安房神社の極めて近くに香取神社(梶取神社)が大正5年までは存在していたが、その祭神は経津主神ではなく、天富命に従ってこの地に来たと言われる宇豆毘古(槁根津日子)だったという。」(Wikipediaより)
どうも面白そうなことが描かれている。
でもよく理解できない。
安房は四国の阿波からやってきた民族が開拓した地であり、阿波忌部氏の祖が天日鷲命とされる。

本殿(天苗加命「香取大神の御子神」を祀る)
慶長12年(1607)造営され、元禄13年(1701)に修繕されたという

本殿の左側にあるのが「相殿」(武沼井命「鹿島大神の御子神」天押雲命「天児屋根命の御子神」を祀る)
この天児屋根命は鹿島神宮の中臣氏(藤原氏)の祖神であり、春日大明神です。
(記事は明日に続きます)
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