6号千代田石岡バイパス現状
6号国道は石岡市入口の恋瀬川手前から東側に大きく回り込みバイパス道路が計画され工事が始まっている。
しかし恋瀬川に新しい緑色の橋がかけられてからもうだいぶたつがあまり進展していないようなので、現状がどんなになっているかを見て見ようと思った。
まずは茨城郡の郡衙があったとか石岡城(外城)のあったとかいわれる貝地・田島地区の舌状台地の麓からスタートします。

地図の「①」の場所ですが、府中六井と言われた清らかな井戸の一つ「小目井」の場所付近からです。
下の写真が昔井戸があったと言われるところを復活させて碑を立てたものです。

私は大昔の8世紀初め頃は都の方から霞ヶ浦(流れ海)を舟でやってきた都からやってきた人びとは今の高浜を通過してこの近くまで船でやって来ていたのかもしれないと思っています。
長兎路などという地名も残っているようですから川の流れも緩やかになっていて、ここから台地に登ればなんとなく昔の道に出そうなのです。
もう一つはこの上に「月天宮」というお宮が残されていることがさらにそのイメージを濃くしています。

「①」の位置から見た恋瀬川に架けられた建設中の橋。写真右側に現在の6号国道(恋瀬橋)がある。

「②」の位置から見た道路の橋脚など。ここは低地なので道路は土を盛って高くしている。

同じく「②」の位置から「③」の方向を見たもの。

「②」の場所から「③」の位置を見ています。この竹林の右側に少し登ったところが「③」です。
道路は登れますが行き止まりです。

「③」の場所は少し高くなっている場所なので少し山を切り崩して道路を造成しています。
ここから建設中の道路と筑波山が良く見えます。

「③」の場所からその先を眺めたもの。工事期間も3月末で年度替わりとなるので途中で中断となるのでしょうか?

「④」の道路と交差する部分にやってきました。
どうやらこの道路の上を通るようです。

この反対側も工事中です。
この先は東日本2番目に大きな古墳である「舟塚山古墳」の古墳群地帯に入ります。
ここから先は県道118号線(高浜街道)を横切りますのでこちらに回ります。

この高浜街道との交差点は「平足塚」というバス停のある場所「⑤」です。
ここの高浜街道脇の道路建設のための史跡発掘調査で古代街道「中津川」が見つかった場所です。

この平足塚のバス停の近くには住宅があり、道路建設のために手前の家は数軒壊されたり、移動したり、また奥の家も引っ掛かりそうですからこれから移転させられるのでしょうか。
この現在建設中の道路予定地の土地の確保率は80数%のようです。
まだ10%以上が交渉中なのでしょうか。
それでも工事はこのように進められています。

常磐線側は畑と山が広がっています。
この柵がある辺りから高浜街道に沿って古代の道(古代官道)が見つかっています。

愛宕山古墳も目の前です。

このように舟塚山古墳も良く見えます。
道路が出来たらこの古墳の上からの筑波山の眺めは大きく変わってしまうでしょう。

さて、このバイパスが常磐線をまたぐ位置を見たくて探して行ってきました。
この辺りは道路が狭くて高浜側からは大変でした。
石岡の南台の方からは比較的に楽に入れます。
上の写真(⑥の位置から撮影)が線路をまたいだところです。
電柱が見えているあたりを線路が通っています。左が高浜駅方面、右が石岡駅方面です。

「⑥」の位置で常磐線の上をまたいで「⑦」の方に行きます。

この辺りも住宅があった場所で、数棟の住宅が取り壊されていました。
ここの保育園はすぐ脇を通るようです。

ここから先もう少し先の方まで行くようですが、現在の計画では6号国道につながるまでの計画はされていない(予算どりがされていない?)ようです。
東大橋のあたりでまた6号国道につながるのでしょう。
でも今の計画でも完成はまだ15年も先のようです。気が遠くなってしまいます。
この辺りからまた茨城空港とを結ぶ道路も作られるのでしょうか。
現在の予定では国道6号の混雑緩和で国道を通る約半分近くの車がこちらに流れる計画のようです。
石岡の街中の活気を失せさせないためにどうするのかまだ時間があるようですが思案のしどころかもしれません。
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しかし恋瀬川に新しい緑色の橋がかけられてからもうだいぶたつがあまり進展していないようなので、現状がどんなになっているかを見て見ようと思った。
まずは茨城郡の郡衙があったとか石岡城(外城)のあったとかいわれる貝地・田島地区の舌状台地の麓からスタートします。

地図の「①」の場所ですが、府中六井と言われた清らかな井戸の一つ「小目井」の場所付近からです。
下の写真が昔井戸があったと言われるところを復活させて碑を立てたものです。

私は大昔の8世紀初め頃は都の方から霞ヶ浦(流れ海)を舟でやってきた都からやってきた人びとは今の高浜を通過してこの近くまで船でやって来ていたのかもしれないと思っています。
長兎路などという地名も残っているようですから川の流れも緩やかになっていて、ここから台地に登ればなんとなく昔の道に出そうなのです。
もう一つはこの上に「月天宮」というお宮が残されていることがさらにそのイメージを濃くしています。

「①」の位置から見た恋瀬川に架けられた建設中の橋。写真右側に現在の6号国道(恋瀬橋)がある。

「②」の位置から見た道路の橋脚など。ここは低地なので道路は土を盛って高くしている。

同じく「②」の位置から「③」の方向を見たもの。

「②」の場所から「③」の位置を見ています。この竹林の右側に少し登ったところが「③」です。
道路は登れますが行き止まりです。

「③」の場所は少し高くなっている場所なので少し山を切り崩して道路を造成しています。
ここから建設中の道路と筑波山が良く見えます。

「③」の場所からその先を眺めたもの。工事期間も3月末で年度替わりとなるので途中で中断となるのでしょうか?

「④」の道路と交差する部分にやってきました。
どうやらこの道路の上を通るようです。

この反対側も工事中です。
この先は東日本2番目に大きな古墳である「舟塚山古墳」の古墳群地帯に入ります。
ここから先は県道118号線(高浜街道)を横切りますのでこちらに回ります。

この高浜街道との交差点は「平足塚」というバス停のある場所「⑤」です。
ここの高浜街道脇の道路建設のための史跡発掘調査で古代街道「中津川」が見つかった場所です。

この平足塚のバス停の近くには住宅があり、道路建設のために手前の家は数軒壊されたり、移動したり、また奥の家も引っ掛かりそうですからこれから移転させられるのでしょうか。
この現在建設中の道路予定地の土地の確保率は80数%のようです。
まだ10%以上が交渉中なのでしょうか。
それでも工事はこのように進められています。

常磐線側は畑と山が広がっています。
この柵がある辺りから高浜街道に沿って古代の道(古代官道)が見つかっています。

愛宕山古墳も目の前です。

このように舟塚山古墳も良く見えます。
道路が出来たらこの古墳の上からの筑波山の眺めは大きく変わってしまうでしょう。

さて、このバイパスが常磐線をまたぐ位置を見たくて探して行ってきました。
この辺りは道路が狭くて高浜側からは大変でした。
石岡の南台の方からは比較的に楽に入れます。
上の写真(⑥の位置から撮影)が線路をまたいだところです。
電柱が見えているあたりを線路が通っています。左が高浜駅方面、右が石岡駅方面です。

「⑥」の位置で常磐線の上をまたいで「⑦」の方に行きます。

この辺りも住宅があった場所で、数棟の住宅が取り壊されていました。
ここの保育園はすぐ脇を通るようです。

ここから先もう少し先の方まで行くようですが、現在の計画では6号国道につながるまでの計画はされていない(予算どりがされていない?)ようです。
東大橋のあたりでまた6号国道につながるのでしょう。
でも今の計画でも完成はまだ15年も先のようです。気が遠くなってしまいます。
この辺りからまた茨城空港とを結ぶ道路も作られるのでしょうか。
現在の予定では国道6号の混雑緩和で国道を通る約半分近くの車がこちらに流れる計画のようです。
石岡の街中の活気を失せさせないためにどうするのかまだ時間があるようですが思案のしどころかもしれません。


あまり変わっていませんよ。
完成はまだまだ先のようです。
お調べください。