観福寺(佐原)
今日は東京で桜が開花したそうです。
ここのところ暖かいので梅が咲いたと思ったら今度は桜ですね。
もう1カ月以上前(2/17)に香取市の「観福寺」という寺に行きました。
実はここも偶然通りかかって見つけた寺なのですが、佐原の山車会館に行った時に中でビデオ上映がされていてこの寺も確か紹介されていたのです。

「日本厄除三大師」とここでは呼ばれているようです。
一般には川崎大師、西新井大師の2つに佐野厄除大師や川越大師(喜多院)などが呼ばれているようですが、三番目は時代や地方によって解釈はまちまちですね。

ただなかなか大きな寺で太子堂なども立派なもので歴史もある。
またここには佐原の伊能忠敬の墓もある。
市の案内によれば
「真言宗豊山派に属し、本堂・大師堂・観音堂・不動堂・鐘楼など堂々とした構えの北総の名刹で、平将門の守護仏である観世音菩薩を本尊に祀る。
古くは千葉氏の祈願所として歴代武将の厚い帰依を受け、近世になると大師信仰の中心となって庶民の信仰を一身に集めた。
寺宝の中には釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩・十一面観世音菩薩の金銅製懸仏4体の重要文化財が含まれる」
と書かれている。江戸時代には末寺五十三ヶ寺を持つほどの大きな寺だった。

山門をくぐり広い長いゆるやかな坂を登る。

目の前に大きな立派な「本堂」が現われる。
ここはしだれ桜が植えられているのでもう少ししたらきれいに咲くのだろう。
私がいった時はまだ寒く、今度は4月にでも行ってみたい。
現本堂は文化8年(1811年)鐘眞和尚が再建したもの。

本堂の彫刻も素晴らしい。

本堂の横に建つ「不動堂」(不動明王が安置されている)。文化15年(1818年)に快恵和尚により再建されたもの。

この本堂を見下ろすように少し高台に鐘楼などがある。

階段を上ると左に弘法大師像が安置された「大師堂」がある。これも立派で文政12年(1829年)秀珍和尚が建立したものである。三大厄除大師といわれる大師様である。


また階段を上った正面にある厳かな建物が「観音堂」である。
元禄年間(1688~1704年)、春海和尚により建立された。

「鐘楼」
この鐘楼も戦争中に供出されてしまったのですが、昭和60年に梵鐘を新鋳したものだそうです。
この堂もその時に大幅改修を行ったと言います。
ただこの鐘楼堂が何時のものかは分かりませんでした。






伊能家の墓
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ここのところ暖かいので梅が咲いたと思ったら今度は桜ですね。
もう1カ月以上前(2/17)に香取市の「観福寺」という寺に行きました。
実はここも偶然通りかかって見つけた寺なのですが、佐原の山車会館に行った時に中でビデオ上映がされていてこの寺も確か紹介されていたのです。

「日本厄除三大師」とここでは呼ばれているようです。
一般には川崎大師、西新井大師の2つに佐野厄除大師や川越大師(喜多院)などが呼ばれているようですが、三番目は時代や地方によって解釈はまちまちですね。

ただなかなか大きな寺で太子堂なども立派なもので歴史もある。
またここには佐原の伊能忠敬の墓もある。
市の案内によれば
「真言宗豊山派に属し、本堂・大師堂・観音堂・不動堂・鐘楼など堂々とした構えの北総の名刹で、平将門の守護仏である観世音菩薩を本尊に祀る。
古くは千葉氏の祈願所として歴代武将の厚い帰依を受け、近世になると大師信仰の中心となって庶民の信仰を一身に集めた。
寺宝の中には釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩・十一面観世音菩薩の金銅製懸仏4体の重要文化財が含まれる」
と書かれている。江戸時代には末寺五十三ヶ寺を持つほどの大きな寺だった。

山門をくぐり広い長いゆるやかな坂を登る。

目の前に大きな立派な「本堂」が現われる。
ここはしだれ桜が植えられているのでもう少ししたらきれいに咲くのだろう。
私がいった時はまだ寒く、今度は4月にでも行ってみたい。
現本堂は文化8年(1811年)鐘眞和尚が再建したもの。

本堂の彫刻も素晴らしい。

本堂の横に建つ「不動堂」(不動明王が安置されている)。文化15年(1818年)に快恵和尚により再建されたもの。

この本堂を見下ろすように少し高台に鐘楼などがある。

階段を上ると左に弘法大師像が安置された「大師堂」がある。これも立派で文政12年(1829年)秀珍和尚が建立したものである。三大厄除大師といわれる大師様である。


また階段を上った正面にある厳かな建物が「観音堂」である。
元禄年間(1688~1704年)、春海和尚により建立された。

「鐘楼」
この鐘楼も戦争中に供出されてしまったのですが、昭和60年に梵鐘を新鋳したものだそうです。
この堂もその時に大幅改修を行ったと言います。
ただこの鐘楼堂が何時のものかは分かりませんでした。






伊能家の墓


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